KOREA-6
〜韓国旅行のその6〜
2004.3.20
昌徳宮
昌徳宮(チャンドックン) 昌徳宮は1405年、正宮である景福宮の離宮として建造された宮殿で、光海君(クァンヘグン・1571-1641・李朝第15代王)以降、約270年に渡って李氏朝鮮王朝の政務が行なわれた王の御所。全部で約135,000平方mの敷地には13棟の宮殿の建物があり、その北半分を占める秘苑(ピウォン)には28棟の楼閣があります。 |
日本語ガイドツアーが始まる14:30には,沢山の人が入り口に集合
敦化門(トンファムン) 太宗12年(1412年)、昌徳宮の正門として創建され、その翌年、太宗(テジョン)の高徳を刻んだ15,000斥の銅鐘をかけたところです。この門はソウルに残っている木造の二層門としては最古のものです。 |
仁政殿(インジョンジョン) 建物は昌徳宮の正殿になります。ここでは王の即位式、臣下の朝礼式、韓国使臣の接見など、国の重要行事が行われたところです。この建物を見ると、朝鮮末期の建築様式を見ることができます。 |
宣政殿(セジョンジョン) 王が臣下と国政を議論する場所として使っていた所で、現在韓国に残っている唯一の青い瓦の宮殿です。 |
美しい瓦です
彩り良く
内部は
大造殿
大造殿(デジョンジョン) 王と王妃の寝殿 |
女官が使用した小部屋
宮殿の屋根
瓦の屋根の端の小さな石像。お宮を守る守護神として置かれた物で、西遊記の登場人物が並んでいます。先頭から三蔵法師、孫悟空、沙悟浄、猪八戒、、、と続いてます。 |
正面には
螺鈿細工の長椅子
オンドルの煙突
王宮には,アカマツが植えられるそうです
秘苑へ続く道
宙合堂(チュハンヌ)と芙蓉池(ブヨンジ)が見えます
英華堂
英華堂(ヨンファダイ) 王が家臣と一緒に花見をしたり、詩を詠んだりと風流を楽しむところでしたが、第22代王、正祖(チョンジョ)の時代からは科挙の試験場として使用されました。試験の時は王が試験監督をし、横の庭で受験者たちが科挙の試験を受けたところです。 |
両班の家
演慶堂(ヨンギョダン) 朝鮮第23代王、純祖28年(1828)に当時の士大夫(朝鮮時代の上流階級)の家を真似て昌徳宮の中に作られた民家形式の建物です。中は、男性が生活をする舎廊棟(サランチェ)、母屋(アンチェ)、本を保管していた善香斎(ソンヒャンジェ)などで成り立っています。 |
王女が降嫁する準備として練習したそうです
大家に嫁ぐしかないですものね
楽善斎
楽善斎(ナクセンジェ) 朝鮮第24代王、憲宗13年(1847年)に側室だった金氏が住むところとして建てられました。英王(ヨンワン)とその后である李方子女史、そして徳恵翁主(トケオンジュ)が日本から帰国した後過ごした場所でもあります。そして、壁には、長寿を意味するカメの甲羅模様になっています。 |
日本の皇族・梨本宮家から日韓の架け橋となるべく朝鮮に嫁いできた方で
大韓帝国皇太子・垠(ウン)殿下の后
「まさこ」と読みます
平成元(1989)年、方子妃は87歳で逝去された。
偉い方です
南大門で時間を潰そうと,バスに乗ったのですが
反対方向に進んでしまい
途中で降りて
ソウル市庁付近のロッテデパートに行って
お土産を買ったりして
評判の非言語劇「乱打(ナンタ)」の予約チケットを受け取るために劇場へ歩き
ソウル市庁前に大勢の警官に驚きながら
徳寿宮の脇を進みました
途中で見つけていた食堂に入り夕食
プルコギ
美味しそう
確かに美味しかった
ご飯はぎゅうぎゅう詰め
午後8時からの講演前に
記念撮影
厨房用品で作られたオブジェ
確かに言葉は分からなくても(英語でした)
楽しめました
こんな風に観客が舞台に上げられて,いじられます
(この写真は6日後に再度,韓国を訪れた「旅の仲間1」が隠し撮りしたもの)
(向かって右側の女性は見たことがある人です)
お腹に響きますよ
最終更新日 : 2004.04.02
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