KOREA-2
〜韓国旅行のその2〜
2004.3.19
改築が終了し,近代的駅ビルになった水原(スウォン)駅
ホテル直下の地下鉄に乗り
丁度1時間程度の電車旅でした
ここは,ユネスコの世界遺産に登録されている
華城があります。
水原(スウォン)のシンポルはなんと言っても「水原華城」(スウォンファソン)。ユネスコの世界遺産にも指定されています。1794年、李朝第22代王の正祖はソウルから父王が眠る場所である水原(スウォン)に遷都を計画し、城の建築を命じました。しかし結局、長さ5.5Kmの城壁と楼門だけが完成したところで王の死去により建築は中断し、遷都も中止されました。 建設当時、37万人もの労力を投入し、約2年2か月の年月を費やして完成した城郭「水原華城」(スウォンファソン)は、ヨーロッパの築城技術を取り入れた東洋初の城郭。石とレンガを組み合わせたいかにも堅固なヨーロッパ風のトーチカの上にアジア調の楼閣がのっていて、とてもユニーク。楼門はいずれも観光スポットとなっています。 大半の楼閣は1950年に勃発した朝鮮戦争で破壊されましたが、当時の設計資料が残っていたために精密に復元され、1997年、韓国で5番目にユネスコの世界遺産として登録されました。 楼閣は八達門(南門)、蒼竜門(東門)、長安門(北門)、華西門(西門)がそれぞれの位置にあります。楼閣を結ぶ城郭を1周すると約3時間。晴れた日にはちょうどいい散歩コースにもなります。 |
華城
(ファソン)
駅前からバスに乗って北側へ向かいます。
計画は,北から東を通って南に半周歩くというものです
4km程の道のりでバスから降りると
長安門
(旅の仲間が左手前を歩いています)
まずはファソンの説明から
世界文化遺産“華城”(ファソン) 華城は朝鮮朝第22台正祖18年(1794)1月に着工して正祖20年(1796)9月に完工された。 正祖大王は実父である思悼世子の園寝を揚州の拝峰山から水原の花山へ移しながら花山の下にある官庁と民家を八達山の下に全部移転させここに華城行宮と華城を築城した。 200年前に築造された華城は最も近代的な規模と機能を備えていて,城には4大門を始め約50個の施設物が各々固有な美しさを持っており,城郭全体を一つの芸術的な作品として見ることができる。のみならず,火器による攻撃に対処することができる防御施設を具えるなど世界で最も科学的な設計で築城した城郭の一つで「城郭の花」と呼ばれる。また,城の形態だけでなく砲楼・敦台・雉城・暗門・水門の適切な案配で,実戦で接近する敵を効果的に牽制,殲滅することができるようにした。 城郭の築造に石材と磚(せん)を併用し矢と槍剣を防御する構造だけでなく鉄砲を防御する近代的な城郭構造を備えている。また,用材を規格化し,挙重機,轆轤(ろくろ),遊衡車等を考案して使用し,特に挙重機は丁若繧ェ特殊考案したもので40斤の力で2万5千斤重さが動かせる。また,築城に関するすべての記録が『華城城役儀軌』にそのまま残っていて,建築実名制が実施された世界最初の建築物でもある。 行宮:王が外出する際の仮の住まい |
説明板は
ハングル・日本語
英語・中国語
で書かれています
長安門(ジャンアンムン) 史跡第3号 華城にある四つの大門のうち,北方にある大門で,正祖18年(1794)に建てられた。国の安寧を願い,長安門と名付けた。アーチ形の石の上に二階の楼閣を設けている。韓国戦争の時,焼けて破壊されたが,1976年に復元された。城門の外側には,半円形の甕城(オンソン)を築き,城門を守る役割をしている。門の左右には甕城を攻撃する敵を退けるための敵台(ジョグダイ)がある。敵台は,他の城壁では見られない珍しい施設である。 |
では,上から見てみましょう
おっ,旅の仲間が3人,オンソンの方にいるぞ!
仲間1 仲間2・3 ↓ ↓ |
では,もうひとり
北に向いている大砲の中を覗いています
今回は行けない西側を望んでみました。
こんな風に城壁が街を取り巻いています
こんな塩梅です
写真が暗いのでよく分かりませんが
まあ,こんな感じだと思ってください。
このパンフレットの右側を見物して歩きます。
所々にこうした看板が立っています
ここに書いてる雉(チ)とは
東北雉(ブクドンチ) 雉は,城郭の要所要所に城壁を突出させ,前,左右の方から近付く敵兵を防御するための施設で, |
ということでした
華城第一の景勝地です
華虹門
華虹門(ファホンムン) 史跡第3号 華城は北から南にかけて水原川が流れ,城と接する処に2カ所の水門を設置したが南水門は洪水で流れ,1931年復元した。 |
ここに,ドーッ と水が流れていたら綺麗でしょうねえ
黒煉瓦で出来ているのがよく判ります
この門をくぐると城外に
このような庭園があります
さらに歩くと
東将台
東将台(ドンジャンダイ) 東将台は華城にある二つの将台の一つで,別名「練武台」とも呼ばれている。 |
年配の方が弓の練習をしていました。
(私にはアーチェリーに見えたのですが,見間違いでしょう,きっと)
矢の的の上にはこのような建物が
これは
東北空心敦
(土偏に敦,なのですが,見つかりませんでした)
東北空心敦(ドンブクゴンシムドン) 東北空心ドンは華城にある二つの空心ドンの一つで,蒼龍門と東将台の間にある。 |
で,中はこんな様子
サザエと云うから螺旋状になっているかというと,さに非ず
ここは,東門
蒼竜門
城の外側が完全にふさがっているわけではありません
城門の外にL字形に突出した壁を持ちます
衝車の攻撃を受けにくく,門の開閉が見えないという利点があります
これを護城ショウというそうです
先に進みましょう
烽敦
ま,狼煙台です
五つの煙突が見えます
烽敦(烽火台)(ボンドン)the Beacon Tower 城郭に合わせて黒レンガで造られた韓国の城制度の中では稀に見る施設である。 |
烽火信号の体系 烽ドンには烽火台が5個ある。信号の体系は南側一番目にある烽火台から始まり, |
使われたのでしょうかねえ
南まで廻ってきたので,お昼の心配をしましょう
観光案内所で教えてくれたのがこの店
(観光案内所は殆ど日本語が通じます)
水原は,骨付きカルビ発祥の地だそうで
まあ,食べてみなくちゃね
コンロの周りに並べられているのは,おかずの数々
肉を注文すると,当然の如く,並びます
焼くのは,お姉さんのお仕事
勿論,肉を骨から剥がすのも
サービスで冷麺が出てきました
これは私好みの麺のこしでした
盛岡冷麺に馴れている人には
「なんだい,プツプツ,歯でかみ切れるじゃないか!」
と文句を言われそうですが
私は,こっちの方が良いなあ
さて,再び,バスに乗って,韓国民俗村へ向かいます
最終更新日 : 2004.04.04
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