KOREA-4
〜韓国旅行のその4〜

KOREA-1
韓国に着いて

KOREA-2
水原

KOREA-3
民俗村〜明洞

KOREA-4
ソウル景福宮

KOREA-5
宗廟・昌慶宮

KOREA-6
昌徳宮

KOREA-7
旅のまとめ

2004.3.20
ソウル観光

さて,取り敢えず,朝飯・朝飯

写真が見つかりました!

食べたのは,韓国風海苔巻き・チャーハン・おかゆみたいなもの・・・でした
(写真はキンパと呼ぶ海苔巻き)


この銅像は!
李舜臣
韓国救国の英雄です

ちょっと,判りにくいですね

この銅像は「景福宮」の正面の大通りの真ん中に控えています

もう少し歩くと,景福宮が見えてきます

ほ〜らね

横を凄いスピードで車が過ぎていくので,必死で撮りました
(車は右側通行です)

片道6車線の道を進んできて

Uターンする車の多いこと!

ちなみに,横断歩道はありません!

従って,ここから右(東)側に150m進んで,地下道を渡りました

門を通って,チケットを買って
(チケットは1,000ウォン:但し25歳以上)

午前10時前

10時からは
守門将交替儀式を再現

そうこうしている内に
日本語ガイドツアーは出発してしまいました

では,独自に観て歩きましょう

景福宮(ギョンボックン)


勤政殿(クンジョンジョン)

景福宮

ソウル市内にある5大王宮の中でも12万6337坪(416,990u)と最も規模が大きく、また建築美に優れた宮殿と評価されるこの景福宮は、1395年(太祖4年)に創建され、現在は国の史跡第117号に指定されている古宮。また景福宮内には勤政殿(クンジョンジョン・国宝第223号)、慶会楼(キョンフェル・国宝第224号)、慈慶殿(チャギョンジョン・宝物第809号)、慈慶殿十長生煙突(シッチャンセンクルットッ・宝物第810号)、交泰殿峨嵋山煙突(キョテジョン・アミサンクルットッ・宝物第811号)、勤政門(クンジョンムン)と行閣(ヘンガッ・宝物第812号)、風旗台(プンギデ・宝物第847号)、敬天寺跡十重石塔(キョンチョンサジ・シッチュンソッタッ・国宝第86号)、法泉寺智光国師の玄妙塔(ポンチョンサ・ジグァングッサ・ヒョンモタッ・国宝第101号)などなど数多くの文化財(国宝7点、宝物−国宝と重要文化財の間11点)があります。

景福宮は1395年(太祖4年)創建された李氏朝鮮の正宮。易姓革命で1392年、朝鮮を建国した李成桂(イ・ソンゲ)とその支持者たちが首都遷都を決定し、即位から3年後の1395年、高麗の首都である開京(ケギョン・現在北朝鮮にある開城(ケソン)の旧名)から首都を漢陽(ハニャン、現在のソウルの旧名)に移す過程で造られた宮殿で、現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)のような機能をしていた李朝の心臓部でした。景福宮の「景福」は、「詩経」に出てくる言葉で、王とその子孫、すべての百姓が太平の御代の大きな幸せを得ることを願う、という意味です。

景福宮は、南方に向かって建てられていますが、ここには王が農民たちを望みながら善政を行うという意味が込められています。また南方正面の中央に正門を建て、正門から一直線に線を引いた位置に重要な文化的建築が並んで建っています。すなわち正門である光化門(クァンファムンの後ろには中央門である興礼門(フンネムン)があり、またその後ろには勤政殿への出入門である勤政門(クンジョンムン)があります。さらにその後ろには正殿である勤政殿(クンジョンジョン)が建っており、勤政門の後ろは君主が国政を行なう執務室である思政殿(サジョンジョン)です。

景福宮の背後には白岳山(ペックァッサン)がそびえ、また左側には宗廟、右側には社稷がそれぞれ位置していました。昔、古代中国の周で定められた宮城の様式にそのまま従い、礼にかなうように建てられたのです。しかしながら中国とは異なり、宮殿を市内の北方ではなく西方白岳山のふもとにおきました。 これは韓国人が重視している、自然に依拠して家を建てるという考えが反映したためです。山が多い韓国では人々は家を建てるとき、山の形態や水の流れを考慮し、家を建てる位置をきめました。風水地理は、このような考えを根拠づける理論でもあります。景福宮を建てる時にもこのような風水地理を考え、王宮を市内北方におかずにソウルの代表的な山である白岳山のふもとにおいたのです。

このように重要な建物が一線上に並んで建っているのは、整然とした秩序ある構成が宮城から見えるようにとの意図からです。ここまでは臣下たちが出入り可能なところでしたが、これより先は王と宮殿の中に住んでいる人しか入ることができない内殿でした。内殿の中心は、王の寝殿である康寧殿(カンニョンジョン)。康寧殿は王が休む場所ですが、この建物もまた他の建物と同一線上に並んで建っていることに変わりはありません。

景福宮は1592年(宣祖25年)、豊臣秀吉による壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の戦火によって全焼するという悲運にみまわれ、それ以降、王宮としても不吉だという理由で273年もの間、再建されなかったそうです。しかし1865年(高宗2年)、興宣大院君(フンソンデウォングン)が再建に着手し、1868年(高宗5年)に創建当時の規模に復元。同年7月には高宗が昌徳宮(チャンドックン)からこの地に王宮を移しました。しかし1895年(高宗32年)、閔妃(ミンビ)が日本人の暴徒に殺害されるという事件があり、翌年2月に高宗皇帝がロシア公館に避難したことで景福宮は王宮としての運命を終えることになりました。そして1910年、日韓併合によって国権が強奪されるや、景福宮内にあった約200の殿閣のほとんどが壊され、慶会楼(キョンフェル)と勤政殿(クンジョンジョン)などの10棟のみが残り、日本が勤政殿の南側正面に朝鮮総督府庁舎を建てることによって、景福宮の景観は完全に破壊されてしまいました。日本の植民地から解放された後の1945年から朝鮮総督府は政府の中央庁舎、その後は国立博物館として使われていましたが、景福宮復元事業(1991年6月5日起工)に合わせて1996年11月14日に総督府の建物が完全に撤去されました。そして現在も少しずつ景福宮のもとの姿を取り戻すために復元工事の真っ最中。この復元工事は2025年!にようやく終わりを迎えるそう!復元の基準は景福宮が最後に完成した姿であった1868年時点で、その当時の姿を再現する予定です。

日本は非道いことをしましたね

霞が掛かっているような東北の角は現在修復作業中です

ま,先に進みましょう

王がこの勤政殿に座ることは年に数回でしょう

人形は人目に曝されながらじっと座っています

美しい色彩の屋根裏飾り

思政殿(サジョンジョン)

 王が公式執務をとった便殿

 王が経典を講論したり,親戚との宴会に使う

慶会楼(キョンフェル)

朝鮮時代最高の宴会場

外国使節の接待などに使用された

交泰殿(キョテジョン)

 王妃の寝殿

康寧殿(カンニョンジョン)

王の寝殿

ここは高床式になっていて,
夏の暑さを凌ぐ構造となっている

峨眉山(アミサン)

韓国式の裏庭

日本のように自然を再現しようと言う意志はないようです

十長生煙突

オンドルを炊くために出る煙を出す場所

不思議なのは,この塀は建物から離れていること
地下を煙は通るんでしょうねぇ

景福宮滋慶殿の十長生煙突
宝物810号

塀の一面を一段前に出るようにして,煉瓦で煙突を造り,煙突の中央に長寿を表す十長生の柄を煉瓦で造って並べ,その間にはハイを塗った。
塀に描かれた絵のうち,太陽・岩・亀などの十長生と呼ばれるものは長寿,ブドウは子孫の繁栄,コウモリは富,鬼・プルガサリ(想像上の動物)などは悪鬼を防ぐ動物を象徴している。
煙突の上部は,模様を入れた煉瓦で木造建築物の形態を模倣してあり,一番上には「煙家」と呼ばれる粘土で造った家の形の装飾が10個施されており,煙が出ていくようになっている。
煙突の機能をきちんと果たしながら,コッタムジャン(花壇)と呼ばれる壁の美しさをも生かしているこの煙突は,朝鮮時代の宮殿の煙突の中で一番美しいものである。

国立民俗博物館

隣接する博物館を見学

まあ,ゆっくり見学すると時間が掛かるのでしょうが

30分の見学時間としました

私が見たかったのは
世界最古の印刷術

金属活字を使用したのは,グーテンベルクより先!

経文

ハングルの説明

ハングルの創製

ハングルは1443年12月世宗と集賢殿の学者によって創製されたものである。その間,韓民族は固有の言語を使っていたが,表記をする時には中国文字である漢字を使用していた。言葉と文字とが異なる二重的な言語生活はわが言葉をむりやり漢字にはめなければないという不便なところがあった。朝鮮初期の学問成果をもととしたハングルの創製は韓民族の文化が実質的に発展できる契機となった。

私が考えているよりずっと前に作られていたんですね

牛耕


(これを説明するのにいつも苦労します)

オンドルの構造

十二支も偉そうな神様になっていました

屋外展示

モヤイに見えるのは,南の済州島のもの
(海に近い地域にはこうした巨石文化が生まれるみたいです)

右側は村の境界を示すために積まれた石

裏の入り口はこんな感じでした

歩いて,昌徳宮に向かいましたが
日本語ガイドツアーが始まるまで20分

急ぎましたが,チケットを買うので精一杯

先に,宗廟を見学することにしてさらに徒歩で移動します

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最終更新日 : 2004.04.04

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