千葉県佐倉市petit観光
その1

千葉県民だよりを見て
佐倉の歴史を辿るプチ旅行に出掛けました。
(といいても,自宅から小一時間)

佐倉市立体育館の駐車場に車を置いて

徒歩で,佐倉城趾公園へ

佐倉城趾本丸跡の夫婦モッコク

千葉県指定天然記念物 佐倉城の夫婦モッコク

昭和27年11月3日指定

モッコクは清澄山より東海道以西,四国,九州の近海地自生する小喬木である。
本樹は,もともと二株うえられたもののうち,一株が夫婦モッコクとなったものか,三株寄せ植えしたもののうち二株が癒合してできたものか,明らかでない。樹高11.6メートル,目通り幹囲2.6メートルで,モッコクとしては巨木である。
佐倉城の築城については,「土井利勝が慶長16年(1611)から元和3年(1617)まで7年をかけて完成し規模こそ小さくとも本丸等に種々の庭樹を植え雄大な風格を示した」との伝えがある。
このモッコクは庭樹の一つであったと考えられている。佐倉市松林寺境内にも巨木が所在する。

昭和57年2月11日

千葉県教育委員会
佐倉市教育委員会

勿論,夫婦で出掛けました

敦子さんのアップが見たい方は写真をクリックしてください。

先ずは,佐倉城の説明から

佐倉城は印旛沼へ注ぐ鹿島川,高崎川を外堀とし,台地上に土塁を加えて築城した平山城で石を用いていない。
戦国時代のなかごろ,千葉市の一族鹿島幹胤によって初めて築かれたと伝えられ,別に鹿島山城とも呼ばれた。千葉邦胤もここに本城を移そうとしたがなかばにして果たさず,のちに徳川家康がその要害に着目し,土井利勝に命じ慶長16年(1611)正月から7年間をついやし,元和3年(1618)ごろに完成した。以来,徳川幕府では江戸のまもりとして老中格の譜代の諸侯九氏を封じた。
延享3年(1746)山形から堀田氏が再び移封し,六世126年間11万石を領有して明治維新に及んだが,明治6年(1873)第一軍管第二師営の営舎が置かれ城の施設はことごとくこわされた。
その後,歩兵第二連隊,歩兵第五十二連隊などの兵営となった。

佐倉城の礎石

佐倉城の礎石

昭和五十九,六十年,国立歴史民族博物館の研究棟を建設するために,同敷地を発掘調査し,旧陸軍の営所跡を検出した。
兵舎跡の基礎には,大量の石が詰めてあったが,主柱の立つ位置には佐倉城の礎石を埋め込んでいた。佐倉城は,江戸時代初期の元和年間(1810年代)に土井利勝がこの地に築いた城である。明治時代初期(1873年)に同じ場所に陸軍の営所をおく際に,佐倉城の建物は取り壊し,その基礎を兵舎の基礎に転用したのである。

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最終更新日 : 2003.09.06

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