ここはペルー・ツアー 第7日

前へ 次へ

最初のページに戻ります

別の意味で長い一日(三日)


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

7月24日(金)
フリアカ空港からリマ空港へ

リマを観光して

昼は現地在住の人と食文化について語り合い

夕食は日本食

夜・リマ空港に戻ってチェックイン

夜中出発

このホテルは★★★★★だというのに
カードキーを使えるようにするために
3度もフロントへ往復させるし
スリッパは一足しかないし
そもそも無線ランはない
ビジネスセンターは部屋の鍵で入れるけど,見ることは出来ても日本語打てない
酸素ルームにも酸素のルームサービスには縁がない
頑張らないと★が減るよ


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

朝食はおかずをがっちり

モーニングコール・4:30
朝食・5:00〜
荷物出し・5:30
集合・6:00

添乗のA立さんは5時40分頃日の出だと云っていたけど
真に受けてはいけない

出発直前にが出てきた

プーノの町はまだ眠りの中


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

フリアカの空港を目指す

大学の色はオレンジ
オレンジフジモリ元大統領のカラーです

病院も学校もフジモリ時代に立てられたのはオレンジ

親孝行を顕彰する像だろう

おっと

起きてきて屋台のジュースを飲む小父さん達
マカって看板)

商工業の都市らしく・・・活気がある

足漕ぎ三輪車にタクシーも足漕ぎ

インド・スズキの三輪タクシーだろう

朝食を自分で作る習慣は町の人にはない

この空港は

インカ・マンコ・カパック国際空港
(え? 国際?)
私の荷物を運んでくれるポーター(運転手)

伝説の皇帝マンコ・カパックが投げた棒は

北のクスコに刺さった

小さくて家庭的な飛行機

座席により前と後ろから分けて乗せられる

私は最後だったので待たされた
母は先に乗せられ前から人を掻き分けて一番後ろまで移動
おい!
考えろよな!
多分・・・年寄りだから時間が掛かると思って先に行かせたのだろうが


手作業風の荷物の積み込み

前から乗る人は大体終わり

エアバス

本当にバスのような感覚

モニターは小さい奴

8時35分の定刻出発
(航空会社はちゃんとしている)


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

リマ

飲みかけのペットボトルは低地の気圧ペシャンコ

首都の空港はブリッジ接続

何度目だろう?

一旦荷物を受け取って・・・パソコンをスーツケースに入れる


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

リマ観光

先ずは土産屋

日本人の老舗お土産屋
ポコ・ア・ポコ

日本では見られない果樹が植わっている

ゾウガメも

インコもいる

テハというチョコレートや皇太子が妹の家用に買った茶碗のご飯茶碗・コーヒーなどを購入
自分用にアルパカのネクタイ
このネクタイの出番は数ヶ月先だろう

添乗さんも渋い顔をしながら

土産を買っていました


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

新市街

マンションが建つ新市街は元は貴族の別荘のあった処

中央分離帯ガソリンスタンド
バイクは給油して出ていく所

国旗を振っているのはデモではなく
旗売り
独立記念日に各家で国旗を掲げないと罰金を取られるらしい

ここは何だかのサミットが開かれたのを記念する場所

新市街の観光名所(とは云っても日本向人け)は

この場所

ペルーと云って思い出すのは
大使公邸がテロリストに占拠された事件だ

扉には鉄板が入っているのに簡単に貫通

どうなったか憶えてますか?

私は忘れてましたけど
陸軍・海軍から選抜された特殊部隊が
シミュレーションを重ねて
発生から6ヶ月後に人質を救出し
投降した7人は拘束されたまま,その場で射殺されたのでした

大使は青木さんと云ったはずです

建物は撤去されましたが

金網は破られたまま

こうなっているのに

隣のバルコニーから潜入されたのでした

を持つより家を自分で建てた方が安上がりという土地柄ですが
ここらは金持ちが住む地域で自家用車が多いのですが
車を持たない人だって働きには来る
乗合バスは幼稚園バスの様

車掌に云って
物売りが入って
商売をして
すぐ降りてきます

元の道に戻って

どこに行くかと云うと
この厳重な二重柵の敷地

隙間から

日本大使新公邸が垣間見える

どうやっても車で突っ込むのは無理

装甲車も無理だろう

要塞と化した大使公邸は数ブロック離れた場所に新築されました

皇太子も此処に来たのかなあ?


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

昼食は地鶏料理

日本人(日系人?)が経営するノーキーズ

チェーン店で
ここはソラリという店らしい

贅沢にもが流れていて

盆栽を手入れするおじいちゃんがいる

一年中同じ様な気候なので
空調なしのオープンエア


トイレに行くついでに厨房を覗く

ガーリックトーストと温野菜

チーズの入ったドレッシングを掛ける

主菜はチキン丸焼き

半人前で
1/4羽
ムネかモモかはウェイターが決める
私はモモでラッキー

結局
つけあわせのポテトも
対面の母のムネ部分も食べたので

1/2羽喰った勘定
香菜の入ったオリーブオイルを掛けるのが美味しかった

コーヒーとチーズケーキ

も完食
久々の満腹

日本人の感覚でビュッフェ23ソーレス(700円)は

安いと思うけど
マックが4ソーレスで普通だと思うのであって
旧市街に行くと
4ソーレスで(120円)で
前菜・主菜・デザートまで出るらしい
から
ここは高級


客が少ないのだと考えていたら
午後2時に駐車場は満杯
こちらの昼食は遅いのだ

ここで働いている若者は誇らしいのだろうね

このお兄さんもポーズ

フライドポテトを揚げている横で

炭火ロースターが回転中

まとめて・・・これだけ焼くんです

こちらの人の昼は遅くて
午後2時がピークだそうだ

子どもに飽きさせない工夫は

マックと同じ

宅配もするらしい


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

恋人公園

夜は抱き合っているカップルが多いそうだ

今は昼間だから健全だけど
結婚式後の披露宴までの1時間の散歩のお決まりのルートらしい

ウェディングドレスを着た新郎・新婦の車がバス用駐車スペースにいたのでどかしました

ツアー参加者全員での記念撮影

パーとグーは7日目のサイン

ガウディのデザインを模したモザイクの壁

狭い砂浜とその向こうには人気の海上レストラン

海岸へ降りるには絶壁と横断歩道のない道を渡る必要があるので
歩道橋を造っちゃいました

曇りがちの気候には

こういう色彩が欲しいのだろうか

風は浜から吹いている


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

旧市街地


官公庁などは旧市街地にある

ぼちぼち旧市街ですよ

歩いている人が違うでしょう〜
と云われても
ここらは新市街地の空気が流れている

ペルー独立のモニュメントかな?

空軍本部ですって


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

リマ歴史的町並み保存地区

ここは世界文化遺産に登録されている町並み
とはいっても
スペイン統治時代
という意味ですが

建物の外観に変更を加えてはいけない

バルコニーが壊れてしまうのは仕方ないけど
って感じかな?

渋滞の中

国旗やバッジを売ったり
インカの旗(虹色)を売ったり
スーツカバーを売ったり

食い物・飲み物を売ったり

万博が開かれた場所

何だっけ?

イタリア館の跡は

そのまま美術館に
(安っぽい)

最高裁判所かな?

最高裁判所の裏が有名な偽造屋があって
運転免許証やパスポートや身分証明書を造ってくれる

初日からのガイドY中さんは盛んに
サン・ルイ・・・・サン・ルイ将軍
と云って居たけど

本当はサン=マルティン将軍でした

この騎馬像は
ペルー独立の立て役者を顕彰するもの

議事堂かな?

噴水が綺麗だったので撮したのですが

勝利の女神の上には炎を載せろと命じたら

似た言葉である
リャマ

職人が載せちゃったという話

派手な色は看板にも使えないので
世界一地味なピザ・ハット

クスコのマックと同じね


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

フランシスコ・ピサロが建てたカテドラルは何度も地震で倒壊している

アルマス広場に面している

隣の立派なバルコニーは軍人の屋敷だったが

教会に寄付された

ピンク色の土台はインカ時代の太陽神殿のもの

太陽神殿の上に教会を造っていく方針だった

大統領府

次の選挙には
フジモリ元大統領の娘・ケイコが出る様だが

お父さんは拘束されていて
裁判中
でも
多分・・・不自由のない暮らしなのだろう
ゲリラ(今はテロリストと呼ぶのか)を一掃
特に
日本大使公邸を占拠した犯人を射殺したことで
殺人罪が適用されようとした
白とも黒ともとれない
グレーの判決だったようだが
汚職で裁判

2011 KEKO

壁に書かれているのをよく見ました

この色はハプスブルク家の

マリア・テレジアが好んだ色で
テレジア・イエロー
と云われる

市役所

何度も建て替えられているので色がちぐはぐ

夜・ライトアップされると綺麗な様だ

ここはアルマス広場ともマヨール広場ともセントロとも呼ばれる

記念に一枚

トラクターを改良した

煩い乗り物

次の大統領はフジモリなのか?

市役所の市の紋章には

ハプスブルク家と同じ
二羽の鷲

独立記念日には

ビスコ
(トウモロコシの蒸留酒)

入れられて
振る舞われる
(ウォトカと同じ様なきつい酒だから水で薄めて丁度良さそう)

このバルコニーは見事だけど

維持するのは大変で
寄付したくなるなぁ
台になる材木は一本の木から削って造られている


教会なら浄財で維持できるでしょう

元駅

今は・・・郵便局??

サン・フランシスコ教会

修道院が付属しているが
元はこの前が墓地だった

市の南に流れる川がリマック川
押し流される石ころがペチャクチャ喋っている様だったことから名付けられ
リマという地名もそこから

鉄道の駅跡地は公園に改造

その下からは海賊対策の為の城塞跡が見つかる

イギリスの海賊船か?

セントロにあったピサロの騎馬像はこちらの公園の隅に移動させられた


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

サン・クリストバル山

反乱が起きたときにはスペイン系(?)の住民が避難したと云われる
(夜景見物ポイントだが・・・タクシーも嫌がる絶壁の道)
コエブロホーベンがこんな斜面にまで
ペンキを塗っていると云うことは
税金を払う意志がある証拠

家を持つのが簡単なのは

土地は赤土で,水を混ぜれば,日干し煉瓦ができるから

まあ・・それでは地震でひとたまりもないから
レンガは買うのでしょうが
鉄筋を入れられる穴が空いていた方が強度が高い

建設途上だと税金が免除されるので
お金がある分でレンガを買い
上に継ぎ足す意志を示して
またお金が出来たら二階・三階と足していく
ペンキを塗るのも完成の証で
煉瓦色は未だ途上であることの証となる

日本では5万円払って廃車にしてもらうような車も20万円するらしい

黄金博物館

ペルーの外交官が趣味で始めた
世界兵器博物館に
ナイフも集めようとして
Tumi

呼ばれる儀式用のナイフ

持ち掛けられ
黄金製だけどまとめて買っちゃったのが始まり

兵器・武器よりも

黄金の方が人を惹き付ける

1階は兵器博物館

中は撮影禁止

地上にはお土産屋

勿論武器でなく
金銀製品

もっとお手頃なお土産もある

外交官特権

持ち出しなのでしょうね

で・・・黄金は地下に所蔵されている

プレインカ時代からは司祭者を神に化けさせる装身具として使われ
インカ期も
インカが神の姿形を持つ様
マスク・胸当て・鼻飾り・イヤリング
として
金が用いられ
金属だからが出て良いと考えられた

神に捧げるチチャを入れるコップが最初かも知れない

労役と技術提供・・・物々交換で経済が成立していた中南米では
貨幣という概念がなかった
インカの人々も
新来の人達が人を殺して・脅して・金を手に入れようとしていたのか理解に苦しんだはず

この黄金博物館は個人のコレクションだが
一介の官僚ではなく
ピサロに従ってペルーに来た落ちぶれ貴族
起死回生の博打を打ち
大土地所有者となった人の子孫だからでした


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

スーパーでお土産購入

このVivandaはチリから来たスーパーマーケット

辛子クリームやクスケーニャを購入

ビールは1本90円くらい
(帰った晩に二本とも飲んじゃった)
辛子クリームは50円(100cc)

今日は曜日の晩


多くの人が土曜半日仕事を抱えていますが
ペルーのお父さん達は一旦夜の町に出ると夜明かしをするらしい
財布の中身がなくなるまで勝負

そういえば
カジノもありました
(日本のパチンコ屋のようなものかと)

夕飯は日本食

FUJI

チキン1/2羽でお腹一杯なんですけど

松花堂弁当に味噌汁

温かい麦茶はサービス

冷酒を頼んだ母は$10で
大関の升酒

オーナーシェフ(静岡出身の寿司店主・ペルー在住28年)が
紹介したのは
弁当の中身と
このマカ

通販で馴染み深いが
現物はこんなもの
スライスして揚げたら
結構・酒のつまみになると

柑橘系の果実のゼリー寄せ

パセリが載っているのはご愛敬?

静岡出身で

家紋が上り藤だそうです


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

帰宅の道

今日二度目のリマ空港は岬に近い海岸近く

各自でチェックイン

フリアカから来たときにはチェックインには早いと言われ
午後2時からだと言われて
午後8時過ぎに着くと

今度は手遅れで
一緒にチェックインしたのに
母と離れた席にされた

8時間の飛行で隣は知り合いが良い
添乗員が走って席を変えて貰った

席が21Fというのは
往きの39Fと比べて前の方

免税店ではフォルクローレが演奏されているが

却って敬遠されているかも

00:05ロサンゼルス行きLA090便

朝食はオムレツ

帰りはマイベストを作って

聞いていくことにする

8時間後

ロサンゼルスが近付いてくる

朝06:50定刻
ロサンゼルス到着

入国審査を受け
荷物を預け直して

大韓航空にチェックインして
一服は建物の外

花壇なのか大きな灰皿なのか不明

多分花を植えて
その手前に砂の詰まった灰皿にするのだろう

ロサンゼルス国際空港は現在改装

右の狭い溝が灰皿になるのだろう

トム・ブラドレイ国際ターミナルと名付けられているが

この顔と
中の石の彫刻を見る限り

ネイティブ・アメリカン(インディアン)なのだろう

草花も植え始めたらしい

この横顔

インディアンの髪型でしょ

KE0002は11時40分

小腹がすいたので

そばを食べたかったが
寿司とのセットしか売らないのだとか

寿司は母
蕎麦は私

3食を摂って・・・成田に到着したら

7月26日(日)の午後


bookmark of this page
top 朝食 フリアカ リマ新市街 土産物 昼食 恋人 旧市街 歴史町並 黄金 SanMartin CENTRO Rimac super 夕食 離ペルー bottom

Page 7: 飛行機でリマへ戻り・・・リマ観光

前へ 次へ

最初のページに戻ります

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送