ここはペルー・ツアー 2日目 です

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(背景画像はナスカの地上絵・ハチドリ インターネットから拝借)

写真枚数 90


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7月19日(日)

午後全部を使ってナスカに移動

このために・・・おしりの下に敷くクッションを購入しました

夕べが遅かったので

朝食は6:00から好きな時間にと云われて

コンチネンタルスタイルのバイキング

お隣ではバナナの葉に芋を粽風に包んだものとパンケーキを食べていました
(トウモロコシの皮にトウモロコシかも?)

ヨーグルトはビッグサイズ

マンゴーだろうか?

ミラフローレス地区は新市街

その北の外れにあって静かな場所

カサ・アンディーナ系列には3泊の予定

10:00出発

バスで海岸へ降り・・・南下開始

スペイン人貴族が海で遊ぶための海岸

パン・アメリカン・ハイウェイに乗り

30分弱で東へ折れ


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パチャカマック遺跡


パチャカマック遺跡を見物

ピサロがインカ・アタワルバを拘束して・・・身代金を強要したとき
パチャカマックの黄金を差し出すと申し出て,引き渡した後で,
アタワルバが殺害される

歴史的にはインカより旧く・紀元前200年頃から
世界の創造主・地震を操るパチャカマックを祀る神殿があり
リマ文化期(200-)・ワリ文化期(800-)・イシマ文化期(900-1450)にも
巡礼地・埋葬地としてペルー海岸砂漠地帯の信仰の中心地として栄え
インカの支配(140-1533)が及んでからも自治が認められていた
という町だが
インカの身代金を受け取りに行ったピサロの弟の許には充分に黄金が届かなかったので
スペイン人が焼き尽くしてしまい
現在,発掘・復元・調査中

バスで見て回るが

最初は神官の屋敷

バスから降りるのは第一ピラミッド前

ここに皇帝(「インカ」とは皇帝のこと)の身代金が集められた

プレインカ時代の第1ピラミッド

住居跡だがプレインカ(インカ以前)の石組みなので

倒壊(地震か人の手によるかは不詳)

安山岩ではなく砂岩の石組み

最初の記念撮影

今・発掘と修復をしているよと云う看板

川沿いには不法占拠コエブロホーベン)で出来ちゃった町が

この下にも遺物がある可能性がある

向こうに丘が見える

北南道路は再現間近

ここを800頭のリャマが積んだカチャカマクの黄金が通った

ペルーの貧困層は国有地に勝手に家を建てて

街灯ができると,そこから
電気を盗んで暮らし始めるらしい
(コエブロホーヘン)
そして・・・
スラムとなる

川が流れていて・・・緑も見える

彩色神殿跡

階段状の側面に彩色が施されており

多くの人々がここに埋葬されたくて・供物を持ってきたらしい

ここにも宮殿があったらしい

太陽神殿(インカ期)へバス移動

正面の入り口は現在封鎖

石壁が雑なことからプレインカの建造物をインカが再利用したと思われる

彩色がされていることからも

パチャカマックの儀式殿のあとかとも想像できる

インカ風の石組みとなる儀式の場

生け贄が埋葬された場所

この場合の生け贄は
少女たち

ミイラが置かれた場所
(ミイラは死んだものとは見なされないので儀式に参列)

しゃがんだ姿勢でミイラにされ・・・ぐるぐる巻きに綿布を掛けられ

インカと共に移動した

着ぶくれしたミイラでも座れる座席

インカは背後から出現

インカの道

立ち入り禁止

西を向くと大洋上に島

鯨島と云われる

二人で最初の記念撮影

バスで遺跡入り口へ戻ると背後に太陽神殿

土地は有り余るほど持っている国なので不法占拠を排除しようとはしないらしい

もうこうなると立派な町

復元はまだ続くらしく

大変な作業だ
(地震も多いし)

石油備蓄基地もあるらしい

トイレ休憩で寄った案内板

月の神殿

太陽神に使える少女が集められ・・機織りなどを習い
時に犠牲とされることもあると教え諭される場所
かなり修復が進んだ

なかなか快適そうな空間で

近くには川と泉と地下水道がある

観光客の目を惹くためのリャマでしょう

荷運びに使役される駱駝のような家畜

小規模な展覧会も開かれる

そうすると研究者が来て・・・新たな発想が生まれるのでしょう

ボーっとしながら写真を整理していたので

順番が滅茶苦茶で写真が重複している

最終日・・・リマ旧市街で町売りのお兄さんから2ドルで買った地図

左上のリマ(オレンジの中にピンク色)から右下のイカ県(ピンク色ICA)のナスカ(NAZCA)まで7時間の予定

パンアメリカンハイウェイには切り通しはあってもトンネルはない

高速有料道路だが片側一車線で・・・只今,
遅い車をパスしている所
正面衝突の事故も多い
バスだと死傷者多数になる


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最初の休憩は昼食レストラン

エル・ピロト

セビッチェで有名らしい店

ミネラルウォーターはサービスで

ビール(
クスケーニャ)を注文$3

セビッチェとは「魚介類のマリネ」

それに
唐辛子クリームを掛ける
トウモロコシの輪切りと芋二種・蛸・烏賊・タマネギ・上に唐辛子がトッピングされる

インディカ米のパエリア

トッピングはパプリカ
レモンを搾って食べろと

カボスのようなものだろうか
酸っぱくはない

デザートのアイスは

ルクマという果実から

リマ県の最南部のカニエテ
日本人が最初に入植した土地で
土壌改良・水利改良

重ねて
ペルー第一級の耕地に変えた土地で
最初の数年で亡くなった方も多く
慈恩寺
という
お寺もあります


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途中ガソリンスタンドの有料トイレ:チップ1ソル=30円)を利用し
ひたすら南下

風景は海岸から離れたことを告げている

ただ・・変化は少ない

退屈

ひたすら退屈

道は内陸へ

海岸砂漠地帯とはその通りで

水の得られる所で農業や養鶏が営まれているが・・・ここまで来ると何もない


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日が暮れて・・・ナスカ手前の峠道ではトレーラーをカーブで抜いてハラハラさせながら

夜・・・ナスカに到着

ホテル:カサ・アンディーナ・ナスカ

205号室

リマのホテルと同じ様な造り

すぐ夕食と云うことになり
集合場所は地上絵の模型の前

夕食会場はホテルのレストラン


外には池とバーのある空間

冬だから炭火が焚かれている

野菜の串焼きが前菜

(母のページから拝借)

牛肉と野菜の炒め物とポテトにライスが付け合わせ

米を野菜と考えられず・・・美味く思えない

デザートはアイス

ミントが載っている

ビールを飲み干して

ビスコ・サワーを味わう
ピスコ・サワーを味わう
ビスコはトウモロコシの蒸留酒でアルコール分
45%以上
ピスコぶどうの蒸留酒でアルコール分45%以上

明朝はこれを観に行くのかぁ

早起きを求められている

オープンエアの中庭

殆ど雨のない地域なので

天気は大丈夫だろうけど・・・
・・・南米人の気質が心配

夕食後・・・町を散策
早速,
アルパカセーター50ソーレス(1500円)を買ったけど
本物だろうか?
100%・100%と云っていたけど

私はマフラーとTシャツを購入

日除けの壁は地上絵のモチーフ

これは猿

こちらはコンドル


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バス移動は退屈でした

北の海岸地方日本人契約農民が定住した地域で
様々な野菜や果物(
蜜柑を含む)が栽培され
水利用が改善され(細いチューブで畝だけに水を供給)
農業生産力の高い地域となっている
土は
赤土だから農耕には適していないのだが
ピーナッツやスイカや果樹を作るには問題ない
アスパラの生産世界一と言っていた

海岸のハウスではトウモロコシを餌に養鶏が行われていて
そうした町の周辺に
不法占拠の葦簀張りの小屋があり
住まっている気配のあるものや放棄されたものも多く
電気が手にはいるとに発展していくのだろう

パンアメリカンハイウェイに信号はなく
町を過ぎるときだけ楕円のロータリーを通る

荷を積んだトラックやトレーラーなど遅い車があると
対向車線に気を配りながら
追い越しを掛けるが
失敗すると・・・正面衝突
バスの乗客も犠牲者となる
だ・か・ら
道の端に
小さな十字架が沢山建てられている

明日の帰りも同じ道のりを北上しますが
退屈でしょう(憂鬱)


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Page 2 : プレインカ遺跡パチャカマック訪問・バスでナスカへ

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