2015/11/10
〜うーん,そういう推理かぁ〜

「若冲」
〜澤田瞳子〜

『若冲』:澤田瞳子(さわだ とうこ):2015年4月25日:\1600:文藝春秋:県立M高校図書館
 若冲のカレンダーが付いた雑誌を買おうかと思った
〜枡屋源左衛門が絵に打ち込む姿は,異母妹の志乃からすると,いびられて首を吊って果てた嫁の三輪への罪の意識から来ている気がする。家業に身が入らない源左衛門は,三輪の弟・弁蔵と志乃を娶せて家を継がせると言い出すが,弁蔵はとことん枡源を憎んでいて話にならず,この程度の絵なら我でも描けると言い出す。家督を弟に譲った若冲は名を茂右衛門と変え帯屋町に隠居して,妹を助手に使って作画三昧の生活をしているが,相国寺の大典から鹿苑寺大書院の障壁画を依頼された。池大雅に誘われた先は,元左少弁・裏松光世の蟄居部屋で,弁蔵の描いた贋作を見せられ,更に自分しか描けない絵をと決意を新たにした。錦高倉市場のお宮に住み着いたかっぱらい二人の子どもを捕らえたのは,後の円山応挙。自分も苦労の果てに身すぎを手に入れたのだ。志乃に五條問屋町・明石屋半次郎の後妻という縁談が持ち込まれ,三兄の信三郎が胃病で死に,幸之助の冷たい言葉に,死んだものと思えと捨て台詞を残した若冲は,相国寺に二十数葉の動植綏絵を寄進した。勿論,弁蔵への挑戦状だ。禁裏の口向役人・関目貢が市川君圭から教えられたと,因幡薬師に納める屏風絵を依頼してきたが,忙しくて断った。五条の問屋町・明石屋半次郎が,錦高倉市場の営業停止という嫌がらせを仕掛けてきたため,志乃は若冲の許に帰り,若冲も自分の住まう町のため,奔走する。江戸から来た勘定役・中井清大夫の知恵を受けて,卸している百姓からの請願と茗荷金で利権を守り,中井は付喪神を書いて礼にしろという。そもそも中井は口向役人の不正を暴きに来たのだった。帯屋町に住まう二人は伏見の石峰寺に石仏五百体を納め続けるが,一斗米の値で作画を引き受けるという評判が高まった。実家出入りの料亭が二度目の嫁を披露して歩く中で騒ぎを起こしたのは与謝蕪村の娘で,水呑百姓の出である事が離縁の原因だった。実家で二度の卒中の発作で母が死に,葬儀にも出ずに書き上げた涅槃像は,二股大根を釈迦に見立て,子どもを蕪に見立て,摩耶夫人が描かれていない事から知れる。焼け野原になった京で行方不明の弟子を探す内に,妻を捜す市川君圭と出会い,死んだ岡本雪峰になりすまして,御所造営に係わるので,子・晋蔵を押しつけられた。薬種問屋・吉野寛斎から西福寺に寄進する襖絵の注文を受け,顔料屋で,若林に再会。中井からは絵師選びに付き合わされて,その場にいた君圭は絵が完成して中井に呼ばれ,名を騙った事で咎められ,絵は破かれ,都から所払いとなる。升目を書いて貰うと綺麗に塗りつぶすことが出来るようになった晋蔵に手伝わせて,祇園宵山で屏風を見に行った先で,谷文兆が写してきた屏風絵を見た若冲は,弁蔵が吾を越えようとして描いた屏風絵に衝撃を受け,更なる大作を完成させる。絵は人のために成すべきと言う言葉に打たれ,種種の動物を描く中で,白象の上に見えない亡き妻・三輪を乗せていたのだ。若冲が亡くなって尽七日の法要を営むと,大八車に屏風を乗せて若冲の絵を売りに来た爺と孫が門前にいる。法要が終わって,出てきた谷文兆は7両で買えればしめたものと交渉に乗り出し,5両で手に入れようという時,弁蔵が現れ,十両で買うという。山笠の宵山で見た屏風絵で漸く敗北を悟った弁蔵は若冲の理解者となったのだ〜
 7年後,7年後,7年後…と来て,最後の5年後には吃驚しました。この瞳子さん,77年生まれで若いんだよねぇ

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最終更新日 : 2015.11.10

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