2015/08/26
〜講義録

「いま生きる「資本論」」
〜佐藤優〜

『いま生きる「資本論」』:佐藤優(さとう まさる):2014年7月30日:\1300:新潮社:東郷福祉センター
 自分なりの理解で
〜1867年に刊行された『資本論 第一巻』は他の古典と同様に自分の人生が苦しい原因の6割が解明される。岩波文庫版,向坂逸郎訳『資本論』を通読できないのかというと序文が難解で,しかも「第一篇 商品と貨幣」「第一部 商品」「第一節 商品の二要素 使用価値と価値(価値実態,価値の大いさ)」が理解しがたい。使用価値としてのボールペンは書くことに利用価値があるが,売る側は70円で売ることだけに価値を見出す。貨幣蓄積が目的で,貨幣には魔術性がある。日本資本主義論争には,講座派と労農派の対立があり,講座派は天皇制を打破して日本を資本主義化し,次に社会主義革命を起こすという考えで,労農派の主張は,天皇はもはや資本主義システムの中に解消されて権力の実態は三井・三菱と言った大財閥が持っているから,すぐにでも社会主義革命は可能なんだとする。講座派からは転向者が続出し,『日本の特殊な型の中』にいて,天皇のもとにおいて,その上で資本家の横暴を抑える革命は可能だと考え始める。日本特殊論は1930年代以来の講座派の枠内で考えているわけだ。一方グローバリゼーションを唱える新自由主義者のフレームは労農派的で,柄谷行人も労農派の流れ。労働力の商品価値としては,@衣食住と娯楽費用A次代の労働力の再生産費用B技術革新に付いていくための学習費用,の三つがある。18世紀末から19世紀にかけて土地に縛り付けられていない自由で,生産手段から自由(持っていない)な労働者ができた。その労働力を購入できる資本家が生産過程を家屋得した。本質的アナーキストの宇野浩蔵の『経済原論』はマルクス経済学を語っている。どうせ他人が食べるものだから,食品偽装なんてお茶の子さいさい,というのが資本家の見方。カール・ポランニーによると,人間の経済の要素には@贈与A相互扶助B商品経済の三つがあるという。確かに,久米島をみていると@+A=Bという気がする。近代経済学が貨幣を問題にせず,アベノミクスがインフレターゲットを2%としているのに違和感を感じるのは,こうしたマルクス的観点が活きていないせいだ。資本論を読んでいるとW−G−Wとか,G−W−G’(G+g)と出てくる。後半が商人資本だ。金貸し資本はG……G’(G+g)。マルクスの間違いは,資本主義の発達で資本家同士の競争が起き巨大資本だけが生き残る→窮乏・抑圧・隷従・堕落・搾取が非道くなり二極化が進むと,労働者は耐えられなくなって反抗し団結し抵抗し資本主義を破壊する,としている点で,好景気の後の恐慌を救うのはイノベーションであって,資本主義システムの中できちんと回っていると,労働者は抵抗なんてせずに,こんなものなんだと思うようになる。労働者階級が再生産できるように,結婚して子どもを教育し自己教育用の賃金を与えておけば,窮乏化なんてしそうもない。ビットコインは一般的等価物であるが,通貨になり得ないのは金と無関係であるからだ。近経では金なんて全然関係なくても貨幣は成り立つと考えてドルを刷ろうとするが,管理できない管理通貨制度によって我々は苦しめられている。資本というのは絶えざる運動であって,それは必ずしもカネだけでなく商品にもなるし人間が労働しているなら,そのプロセスにもなる。多大なカネがあれが,それを貸して利子が出てくるフェティッシュな物神性が出て行くいき,貨幣は差異を消す。資本主義は,労働力商品化と持っていれば利子が入る擬制資本(株式)という非常に強い共同主観性(幻想)の上に成り立っている。株式はフィクションだ。それに気が付くためには,直接的人間関係を築くこと,呑み会に行っても割り勘ではなく,それぞれの懐具合に合わせた会費を取ることで良い。資本主義の成立には収奪があった。国家が調整に入って,暴力によって徴税するだから,明らかに収奪。役人は,こうした仕組みの上に立っている。暴力機構を維持するため,ソ連でベールに包まれていた社会福祉を実現すると云いながら,1/3は自分たちの懐に入れる。じゃあ官僚組織は要らないかというと,やはり必要なのだ。資本は労働力を24時間低賃金で使おうとし,労働力の再生産が不可能になるのだ。労働力を生産するのは家庭であって,これは直接的人間関係によって成り立っているのだ〜
 1回目と6回目(最終回)は良いんだけど,課題を出しておいて,よく出来た解答をネタに喋るというのは,直接的人間関係としては良いだろうけど,本としては如何だろう。マルボロがソ連崩壊後の一般的等価物にだったことや,モスクワに来てカジノで負けた代議士に機密費を渡したり,ウォトカ不足になった時に,黒パンに靴クリームを塗ってアルコールを造る話や,木嶋佳苗が佐藤にシンパシーを抱いていたりという,様々なエピソードは楽しいのだが,それは聞き手を自分の手の内に入れる手法である訳で,好きな時に読める読者にとっては,わかりやすい解説をすることが出来るのだから,それを読みたいよ。このレビューを書くために拾い読み返すことで分かったことだけど…。なるほど,彼はクリスチャンなのか!

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最終更新日 : 2015.08.26

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