2015/8
〜8月に読んだ本〜

15831
潮鳴り ☆☆☆☆ 花明かり  ☆ 日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族 ☆☆☆☆ 春雷 ☆☆☆
モナリザの秘密 ☆☆☆☆ 無銭横町 ☆☆☆ 決戦! 関ヶ原 ☆☆☆☆ 神様の御用人3 ☆☆☆
いま生きる「資本論」 ☆☆☆☆ 頼みある仲の酒宴かな ☆☆☆☆ 関所破りの定次郎目籠のお練り ☆☆☆☆☆  

冊数が多いのは真面目に仕事をしていない証拠

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15/08/31
『関所破りの定次郎目籠のお練り』:佐藤雅美(さとう まさよし):2014年9月25日:\1650:文藝春秋:茂原市立図書館
★★★★★
 桑十とは私が考えたシリーズ名だが,問題は,この表紙。やっぱり中一弥だった…逢坂剛のお父さん
〜新田ノ定次郎は道案内の幸平を殺して大戸の関を破り信州に逃れた。八週廻りの身内が殺された訳で,桑山十蔵以外が上州に赴いた。十蔵は保土ヶ谷で同じような道案内の角太郎が殺されて探索に当たる。犯人は河童の六蔵という雲助で泳ぎが達者だ。小田原の久八に匿われて,十蔵とは擦れ違いに江戸に出て人宿に身を隠した。玉村で大水の朝,鉄砲で百姓を撃ったのは力蔵だという万太郎の訴えがあったが,定次郎の子分の万次郎が鉄砲の始末に困って,預けていったものを名主の放蕩次男が持ち出したものだった。定次郎の子分で信州での出入りで死んだ庄蔵の遺した金を茂原に届けるために,同じ子分の清太郎がやってくると,庄蔵の実家の跡取りをどうするかで揉めている。押し込みにあって当主が殺され,その倅の倅を跡取りにしようと云うのだが,親戚の息子が庄蔵の女房の婿として後見するというのだ。籠訴に及んで取り上げられ,十蔵が来てみると,押し込みは庄蔵と対立していた顔役の相撲政五郎が絡んでおり,親戚の吉右衛門もグルであった。相撲政は清太郎に殺されたが,相撲政は同じ定次郎の子分の大胡の助五郎の知り合いで,身を隠そうとしてやって来て,殺されたと聴き,大網の半七の処で羽振りの良い長柄郡山根村の又蔵が70両ほど金を蓄えているのを聞きつけ,押し込んで奪い,銚子方面に逃れようとして,又蔵に愛想を尽かして付いてきた女房に大声を出されて,横芝で捕まった。夷隅郡の郷士出身の十蔵の妻・登勢が実家で男子を産むのに立ち会えた。野尻で変事が起こっているのを聞いた十蔵が向かうと,河童の六蔵が尋ねの惣右衛門を助けて尋ねになっている甥が死んでいる事を突き止めて礼金を貰えるはずなのに,検死に十蔵が来ると聞いて逃げ出した。上州玉村では殺されて道案内の幸平の甥・音吉が,定次郎の娘の居る鍛冶屋を見張っていたが,道楽息子に孕まされたみちが利根川に身を投げようとしているのを救い,思わず自分が父親になると云ってしまった。本当はみちの父である定次郎を殺してやろうとしていたが,祝言の日に定次郎が現れ,挨拶を為した後,誤って幸平を殺す原因を作った博打打ちの政吉の賭場で,道楽者と胴元を殺して,十蔵と立ち合い,いなされて縛に付いた。定次郎の昔の女が役人に鼻薬を効かせて,縮緬の衣と褞袍二枚を着込んで,銭をばらまきながら江戸に入ったのを見た六蔵は,いずれ自分も同じ道を歩きたいと思い始めた。江戸で別の人宿に潜り込んだ六蔵は,大名行列を見物に来て軽い卒中を起こした名主を平塚の先に送る手伝いを引き受けたが,名主は金を持っておらず,雲助相手に黄金を貯めた小前百姓が300両の結納で迎えようとした花嫁に村人が嫌がらせを仕掛けたと,咄嗟に花嫁を救ったのだが,花婿とは知り合いであったために捕縛された。希望は,定次郎と同じようにお練りで江戸入りすることだが,当てが外れて唐丸籠で護送された〜
 複雑なストーリーで,時間にして半年。茂原や本納,大網,東金,横芝が出てきて吃驚! 銭の吹き立てをしようと嘘を吐いた又蔵は山根という場所だが,それが毎日のように通っている場所。野尻というのは銚子の北西で利根川沿い。玉村というのは群馬南部の小さな町,今はネ!

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15/08/28
『頼みある仲の酒宴かな』:佐藤雅美(さとう まさよし):2014年3月1日:\1600:新潮社:茂原市立図書館
★★★★
 8ヶ月乃至8章で一冊になるように計算されている。最終回は随分と詰めちゃったけどね
〜木挽町四丁目で本道医に金瘡を縫って欲しくて石州浪人・矢吹栄五郎と名乗り,赤羽橋有馬上総介家の馬廻り役が請人だと云ったが真っ赤な嘘,消えた翌日の采女ヶ原で額を割られた武士が発見された。身元は不明,左肩に大怪我を負っている者も何処へ消えたか分からない。1年後,大番屋元締・排郷鏡三郎の処に呉服商・白木屋の地所は,自分のものだという医師・木村道庵の娘・ためが相談に来た。もともとは拝領地で,貸していたものだが,600両をまとまって受け取ってからは地代が入ってこなくなったという。取り合わなかったが,同居している丹州浪人・柴田帯刀が,逃げた侍ではないかと興味を持った。5万7千石の丹波西岡松平淡路守で千石を貰っていたのに,同輩の娘を無礼打ちにして馘首になったのだという。被害者の刀は,拵え屋弥太郎のものだと聞いて売った相手を訪ねると,越後長山表の二人連れだったという。排郷・梶川・羽鳥は,越後長山牧田備前守は,35年前に5万両の持参金付き養子を迎え,当歳の嫡男は聾唖の廃人だとしたが,今の大名は次の寺社奉行を狙っており,同じ奏者番でライバルの備前守が弱みを握るために柴田帯刀を使ったことを知って刺客を送ったが,返り討ちにあったと推測した。ためは死去したが,帯刀はための養子だという童子を伴って北町奉行所に現れ,拝領地面の書留御帳面を調べろと,家伝である家康の親筆などを預けていった。弥太郎は博打打ちだった頃の知り合い・三次が北町奉行所前で帯刀を襲おうとして,首を真一文字に斬られたの目撃しただけでなく,刀を求めた客の連れ合いがその場にいたことを皆に告げる。剣術指南の羽鳥は帯刀の訪問を受け,太刀筋を正すだけでなく,何故その場に居たかも正直に話した。返り血を拭う帯刀の身体に刀傷がなかったからだ。道具屋の闕所騒ぎで北が預かった銘なしの名刀が正宗であることが告げられ,それは自らが所有していた刀と判断した帯刀は,翌日奉行所に赴き,特徴を述べて勝手な処分に待ったを掛け,旧主を訪問して,700両で買うと云って踏み倒され掛けている事に釘を刺し,自ら所有の神泉苑に手を出すことを禁じた。旧主・淡路守は借りた刀を牧田家に貸し,実の兄から金を借りるために播磨姫沢柏原遠江守に渡し,遠江守の頭の黒い鼠が300両で質屋へ,質屋の手代が道具屋へ持ち込んでいたのだった。播磨の柏原家は越後の牧田家養子の実家。その越後に縁の羽黒修験の道場が帯刀の命を狙っているらしい。帯刀は白木屋の土地の所有権で揉めているためが死んだ養子の在所から出てくるのに合わせて,京の郊外から上州へ行ったが,剣の師匠縁の道場に出向き,話を聞いても歓迎されず,長山城下の剣術道場で道場主の木刀を叩き落として恨みを買いながら江戸へ走って逃げたことしか覚えがない。命を狙われていると悟ったその夜に帯刀は自宅で待ち伏せしている刺客を撃退したが,逃げていく刺客の一人が大学と呼ぶのを聞いて,陰陽師触役・山村左京が配下の占い師が勝手に本を出板しようとしたことで揉め事を起こし,辞めた用心棒は越後から出てきた修験者・山岡大学,中川弾正・矢吹雲海が犯人だったらしい。山村左京が当代流行の芝居から着想を得た屋根の瓦を破る押し込みにあって700両を超える金銭を奪われた。肩に刀疵のある男は大学に違いないが,土左衛門で発見された。揚士の金蔵も一味だったらしいが,これも殺された。蔵前の修験道本所では関係者は既にいないと云われる。帯刀は名刀の筋から遠江守と面談し,自分の推定した筋書きを話す。牧田家の養子と嫡子は途中で入れ替わり,養子が城から修験道場の主となって,長山城を狙っているというものだ。実際には,牧田家の事情から養子を女狂いに仕立てて,国許に幽閉し,嫡子が当主の振りをし続けていたが,竜鬼院という修験者に拾われ,生い立ちを探られ,牧田家を脅し,2万両を強請り取り,次に養子の実家である柏原も強請ろうとして,先に戻った養子によって犯意を明らかにされ,獄門に送られたのだった〜
 排郷さんやら羽鳥さんを播州やら越後まで連れ出す必要があったのだろうか。まあ,排郷さんやら羽鳥さんが何かあれば旅したいという気持ちを持っていたことは分かるけど。ああ面白かった。良からぬ想像を巡らして悪人と踏んでいた男と友達になって旅しちゃうんだものね。京辺りでは金貸しを土倉と云ったらしい。それが柴田家! もうなくなっちゃった白木屋もあくどい手で日本橋に土地を得ていたと!!

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〜〜
 

15/08/26
『いま生きる「資本論」』:佐藤優(さとう まさる):2014年7月30日:\1300:新潮社:東郷福祉センター
★★★★
 自分なりの理解で
〜1867年に刊行された『資本論 第一巻』は他の古典と同様に自分の人生が苦しい原因の6割が解明される。岩波文庫版,向坂逸郎訳『資本論』を通読できないのかというと序文が難解で,しかも「第一篇 商品と貨幣」「第一部 商品」「第一節 商品の二要素 使用価値と価値(価値実態,価値の大いさ)」が理解しがたい。使用価値としてのボールペンは書くことに利用価値があるが,売る側は70円で売ることだけに価値を見出す。貨幣蓄積が目的で,貨幣には魔術性がある。日本資本主義論争には,講座派と労農派の対立があり,講座派は天皇制を打破して日本を資本主義化し,次に社会主義革命を起こすという考えで,労農派の主張は,天皇はもはや資本主義システムの中に解消されて権力の実態は三井・三菱と言った大財閥が持っているから,すぐにでも社会主義革命は可能なんだとする。講座派からは転向者が続出し,『日本の特殊な型の中』にいて,天皇のもとにおいて,その上で資本家の横暴を抑える革命は可能だと考え始める。日本特殊論は1930年代以来の講座派の枠内で考えているわけだ。一方グローバリゼーションを唱える新自由主義者のフレームは労農派的で,柄谷行人も労農派の流れ。労働力の商品価値としては,@衣食住と娯楽費用A次代の労働力の再生産費用B技術革新に付いていくための学習費用,の三つがある。18世紀末から19世紀にかけて土地に縛り付けられていない自由で,生産手段から自由(持っていない)な労働者ができた。その労働力を購入できる資本家が生産過程を家屋得した。本質的アナーキストの宇野浩蔵の『経済原論』はマルクス経済学を語っている。どうせ他人が食べるものだから,食品偽装なんてお茶の子さいさい,というのが資本家の見方。カール・ポランニーによると,人間の経済の要素には@贈与A相互扶助B商品経済の三つがあるという。確かに,久米島をみていると@+A=Bという気がする。近代経済学が貨幣を問題にせず,アベノミクスがインフレターゲットを2%としているのに違和感を感じるのは,こうしたマルクス的観点が活きていないせいだ。資本論を読んでいるとW−G−Wとか,G−W−G’(G+g)と出てくる。後半が商人資本だ。金貸し資本はG……G’(G+g)。マルクスの間違いは,資本主義の発達で資本家同士の競争が起き巨大資本だけが生き残る→窮乏・抑圧・隷従・堕落・搾取が非道くなり二極化が進むと,労働者は耐えられなくなって反抗し団結し抵抗し資本主義を破壊する,としている点で,好景気の後の恐慌を救うのはイノベーションであって,資本主義システムの中できちんと回っていると,労働者は抵抗なんてせずに,こんなものなんだと思うようになる。労働者階級が再生産できるように,結婚して子どもを教育し自己教育用の賃金を与えておけば,窮乏化なんてしそうもない。ビットコインは一般的等価物であるが,通貨になり得ないのは金と無関係であるからだ。近経では金なんて全然関係なくても貨幣は成り立つと考えてドルを刷ろうとするが,管理できない管理通貨制度によって我々は苦しめられている。資本というのは絶えざる運動であって,それは必ずしもカネだけでなく商品にもなるし人間が労働しているなら,そのプロセスにもなる。多大なカネがあれが,それを貸して利子が出てくるフェティッシュな物神性が出て行くいき,貨幣は差異を消す。資本主義は,労働力商品化と持っていれば利子が入る擬制資本(株式)という非常に強い共同主観性(幻想)の上に成り立っている。株式はフィクションだ。それに気が付くためには,直接的人間関係を築くこと,呑み会に行っても割り勘ではなく,それぞれの懐具合に合わせた会費を取ることで良い。資本主義の成立には収奪があった。国家が調整に入って,暴力によって徴税するだから,明らかに収奪。役人は,こうした仕組みの上に立っている。暴力機構を維持するため,ソ連でベールに包まれていた社会福祉を実現すると云いながら,1/3は自分たちの懐に入れる。じゃあ官僚組織は要らないかというと,やはり必要なのだ。資本は労働力を24時間低賃金で使おうとし,労働力の再生産が不可能になるのだ。労働力を生産するのは家庭であって,これは直接的人間関係によって成り立っているのだ〜
 1回目と6回目(最終回)は良いんだけど,課題を出しておいて,よく出来た解答をネタに喋るというのは,直接的人間関係としては良いだろうけど,本としては如何だろう。マルボロがソ連崩壊後の一般的等価物にだったことや,モスクワに来てカジノで負けた代議士に機密費を渡したり,ウォトカ不足になった時に,黒パンに靴クリームを塗ってアルコールを造る話や,木嶋佳苗が佐藤にシンパシーを抱いていたりという,様々なエピソードは楽しいのだが,それは聞き手を自分の手の内に入れる手法である訳で,好きな時に読める読者にとっては,わかりやすい解説をすることが出来るのだから,それを読みたいよ。このレビューを書くために拾い読み返すことで分かったことだけど…。なるほど,彼はクリスチャンなのか!

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15/08/24
『神様の御用人3』:浅葉なつ(あさば):2014年11月22日:\570:アスキー・メディアワークス:東郷福祉センター
★★★
 偶然発見された本。発行はKADOKAWAってなってるんだけど,大人の事情があるんだろうか? アスキーが既に角川傘下?
〜天棚機姫神は自分の服を欲する人間を見つけ出せという。穂乃香がデパートのショウウィンドウ前で声を掛けられたのだが,良彦は,欲しがる服を作れば良いのだと教えてやる。飾られていた服を基に穂乃香のために作った服はよく似合っている。瀬戸・大三島にある大山積神の稲田を守る稲本さんは,毎年勝負が決まっている相撲に飽きていて,人と真剣勝負がしたいと,良彦を呼んだ。いくら戦っても勝てない相手だが,小学生の生まれてくる妹のために強くなりたいという言葉を囁いて,足を掛けて倒すことが出来た。貴船神社の高靇神は石で造った柄杓を持つ童子の子孫を探してほしいと良彦に依頼してきた。穂乃香と話していると,割り込んできた高校生は,貴船で溺れかけて救われたので,恩返しのために仲間に加えろという。柄杓を持つのは八家だというが,その高校生こそが末裔だった。垂仁天皇に命じられて十年を掛けて常世の国から橘を持ち帰ったことで神に名を連ねる田道間守命は,菓祖とされているのがくすぐったく,菓子作りを一度してみたい。目を付けたのはオレンジ味のシュークリーム。完成したシュークリームを奈良に持って行く〜
 女の子向きのファンタジーって読んでいて眠くなるんだけど,これは割と大丈夫。と言っても読みながら寝ちゃうけど…。もう4冊目が出てるらしい

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15/08/21
『決戦! 関ヶ原』:伊東潤・吉川永青・天野純希・上田秀人・矢野隆・冲方丁・葉室麟:2014年11月18日:\1600:講談社:県立M高校図書館
★★★★
 オムニバス・戦国合戦小説集の第一弾
〜<徳川家康>伊東潤:石田三成の武断派を除くための策略に家康は乗ることにした。本多正信も支持する。徳川家臣を損なうことなく進めたい。一気に勝敗を決めない為,正信を遣って足止めさせた。仕上げは小早川秀秋の裏切りを促すための,松尾山への一斉射撃。これからは自分が漬け物石になる覚悟だ。<可児才蔵>吉川永青:齋藤達興・明智光秀・織田信孝・柴田勝家・三次秀次・前田利家,仕えた大名すべてが敗者だ。今度は東軍の福島正則,抜け駆けをさせるぬ為,五十名で見張っていたが,井伊兵部直政が家康四男の松平忠吉を連れて物見だと嘘を吐き,霧の中で発砲し戦端を開いた。面目を潰された才蔵は,井伊を戦場で探して成敗するつもりだが,敵に囲まれている。救い出して対峙するが,井伊はすでの死を覚悟し,可児の指物である笹を咥えて噛んでいる。迷いが消えた才蔵は,福島隊へ帰り,奮迅の働きを示す。<織田有楽斉>天野純希:信長の弟であるが戦働きは苦手で,頭を丸めて茶道に励んでいるが,一度くらいは450名の手勢で武功をあげたい。前線に飛び出ても息子の長孝に救われているが,取り残された横内喜内のくびを初めて挙げた。大坂に戻って上方を見張る役目を与えられ,ほっとする。<宇喜多秀家>上田秀人:備前の梟雄の息子だが,毛利への先兵として利用されているのは分かっているが,太閤に助けられたのも事実。秀頼も弟として可愛がった。しかし,淀と三成によって遠ざけられが。西軍にいるのは本意だが,福島勢が進出し,裏切った秀秋が攻めてくる。家臣に抱きかかえられ戦場を抜け出し,薩摩に潜伏し,家康が将軍になってからは八丈島へ流罪に処せられたが,八十三歳まで生き延びた。<島津維新義弘>矢野隆:薩摩藩主の弟は関ヶ原の戦場に立ちながら,他人所の戦いだと冷静に考え動かなかった。最初はうるさかった甥の豊久31歳は覇気をみなぎらせているが,戦局は敵に傾くと撤退を進言する。今,家康目掛けて突進するのが自分の戦いだと決めると,豊久も前しか見ずに進み始める。前に立ち塞がる敵を倒して空隙へ抜けた瞬間,家康は止まれという。豊久には身を挺して引き戻された。家康本陣を掠めるように敵陣を突破した結果が残った。<小早川秀秋>冲方丁:自分は秀吉の縁続きで大名となったのは承知している。義兄の秀次と同じように自分も切腹させられるのか思ったが,小早川に養子に出され,朝鮮への足がかりの為に筑前を任され,朝鮮入りの総大将ともなった。秀吉の叱責を受けながらも,備前を加増され,秀吉亡き後,十代にして五大老の地位にあり,西軍に身を置いているが,家康の人となりを見ると,平和の世で米が出来るまでを知っている家康がどのような国作りをするのか見たくて,東軍への寝返りを決意した。<石田三成>葉室麟:恵瓊の策は,上杉と徳川を戦わせ,東を徳川,西を毛利の支配下に置くというものだが,その策に乗った振りをして三成は,関ヶ原に出陣し,大谷吉継に因果を含ませて戦死させた。北の政所を通じ,小早川に働きかけて裏切らせ,戦いを速やかに決着させ,豊臣恩顧の大名たちを際立たせて,豊臣家の延命を図る策は,恵瓊の上を行くものだった〜
 最初が勝った家康で,最後が負けた三成って構成。面白い行動は島津義弘だよね。伊東さんは,家康が三成の策に乗ったと言わせ,葉室さんは,三成が恵瓊の策の上を行ったと言わせる。なるほどね

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15/08/18
『無銭横町』:西村賢太(にしむら けんた):2015年2月25日:\1300:文藝春秋:茂原市立図書館
★★★
 嫌悪感を催させるというのもテクニックか?
〜『菰を被り夏を待つ』横浜での心機一転を図った貫多は造園業のアルバイトをしくじって,掛け布団をゴミ袋に詰めて,椎名町に戻ってきた。『邪煙の充ちゆく』秋恵と暮らす貫多は,リビングで煙草を吸わなかったが,決心した三日目にリビングで吸い始め,一週間で寝室でも吸うようになってしまったが,慣れているからという秋恵の一言に反応してしまったのだ。『朧夜』『酒と酒の合間に』お笑い芸人の書いた本が文庫になる際の解説を依頼された貫多は,些細な性犯罪を起こして一家を離散に追い込んだ父が神宮球場で,外国人選手から必死になってサインを貰ってくれたことを思い出し,一気に書き上げた。『貫多,激怒す−または「ある中年男の独語」』「その夜の,北町貫多の腹の底より湧き上がる怒りと云うのは,なまなかのものではなかった。慊かった。まったく,慊かった。いったいに,…根がエチケット尊重主義にでき,人一倍礼節を重んじる質にできてる彼は,畢竟この怒りには,はな,」『無銭横町』二十歳の貫多は7ヶ月も滞納した家賃と立ち退きを家主から求められ,町田の母親にたかろうとしたが果たせず,やむなく400円の文庫を百円で売って,55円の即席蕎麦を水で食い,私小説家の全集を1万2千円で売って,次の宿を借りる算段がついたが,古書店の目録に書かれた本を買うための懇請を送るための葉書を買い求めた〜
 私小説ってのは,ややこしい。編集者でもフィクションであることを忘れてしまう。嫌だね。自分史を書けば,超大作ができるけど,それやっちゃったら,死ぬまで出来るか!しかし,誰が読む?

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15/08/16
『モナリザの秘密』:内田広由紀(うちだ ひろゆき):2014年8月20日:\1900:視覚デザイン研究所:県立M高校図書館
★★★★
 目からウロコの鑑賞術26章
〜表紙のモナリザの視線は中央寄りだが本物は左を見ている。それが服装視線。右目と左目の焦点がちょっとずれている。それが謎(神秘性)を呼ぶ。ムンク『叫び』(1863)は,背景のうねりと一体となって心深性を描写しているが,『不安』(1894)と絶望の3点でベルリンで展示される。ゴーギャン『かぐわしき大地』(1892)の配色は微暗色で大地の生命力を表すが,『異国のエヴァ』(1890/94)は大地の熱気がなくフォルムも弱々しい。マネ『ベルシェールのバー』(1882)の構図は直前で完成した。キスリング『キキの半身像』(1927)は中心構図で堂々と,ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』(1845?)は衛星型は主役を引き立たせ華やかに,ロートレック『ムーラン街のサロン』(1894)の流水型は画面の中に自然に誘導され引き込まれた気持ちで自然な日常を表現,クリムト『ダナエ』(1907−08)の流水型は大人の自由さを,ルノワール『ド・ラ・ギャレット』(1876)の市場型はのんびりした自由さ,ピカソ『画家とモデル』(1963)の対決型構図は生き生きドラマチック,マティス『オーカーの頭部』(1937)の刀がれが他行図は都会的でおしゃれ。モディリアーニ『おさげ髪の少女』(1918)は曲線で女性らしさを,ミレ−『オフィーリア』(1851)の水平線はしみじみした静けさを,ミレー『晩鐘』(1857−59)の水平線は重厚な静けさ,同じく『種まく人』(1850)の斜線はダイナミックなパワーを,ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』(1830)の斜線も生命の躍動を,マネ『笛吹く少年』(1866)の直線は少年のけなげさを,ミュシャ『ジョブ,煙草用巻紙』(1896)の曲線は華やかな幻想を,マティス『桃色の裸婦』(1935)の背景の直線が曲線を生き生きと見せ,シャガール『孤独』(1933)の暗い背景は孤独感を強く,ゴヤの弟子『巨人』(1818−25)の背後の広い空間は深い物語を,シャガール『私と村』(1911)やブリューゲル父『子供の遊戯』(1560)の豊富な情報量は開放性やにぎやかで楽しさを,ルノワール『桟敷席』(1874)の版面率の高さは積極的な気分を強める。色彩のメッセージとして,ゴーギャン『マンゴーを持つ女』(1892)の反対色が開放・積極性を,レジェ『余暇』(1948−49)の全相型は明るい未来を,マティス『緑のすじのある女』(1905)の全相型も自由を,ルノワール『アンリオ夫人』(1876)の微対決色は開放的華やかさを表す。ローランサン『ギターを持つ女』(1940)の淡濁色は都会的な優しさ,ピカソ『浜辺を走る2人』(1922)の鮮やかな強いトーンは力強さ,マティス『ルーマニアのブラウス』(1939−40)のセパレーションは軽快ですっきりさせ,キスリング『赤毛の裸婦』(1949)の暗い背景は主人公の元気さを,ゴーギャン『乳房と赤い花』(1899)の鮮やかな色は主役を引き立て,ピカソ『恋人たち』(1923)の主役の白が画面をすっきりルドン『ヴィオレット・ハイマンの肖像』(1910)の添え色は強調,ピカソ『闘牛』(1933)の群化とリピートは生き生きとした安定を,ロートレック『ム−ラン・ルージュにてダンス』(1890)のグループ化と繰り返しは華やかで落ち着きを,モネ『散歩,日傘をさす女性』(1875)の逆光はしみじみとした優しさを表す。ミレー『ランプのもとで縫い物をする女』(1870−72)の暗い背景と灯火は情感を深くする。ゴッホ『医師ガシェの肖像』(1890)のくだけたポーズは信頼を,エル・グレコ『懺悔するマグダラのマリア』(1577)は見上げる視線で敬いを,ピカソ『アヴィニョンの娘たち』(1907)の正面向きの視線は生命の強さを,フェルメール『真珠の耳飾りの少女』(1665−66)の複相視線は見る人をハッとさせる。ローランサン『マドモワゼル・シャネルの肖像』(1923−24)の片腕を挙げた姿勢は未来への希望を感じさせる。ルノワール『シャルパンティエ夫人とその子供たちの肖像』(1878)の三角形の構図は家族の安心を,ピカソ『人生』(1903)の対決する身体と視線が強い緊張感を,ミケンランジェロ『アダムの創造』(1510)の主役は指先のかすかな空間が主役。モロー『オイディプスとスフィンクス』(1864)の対決する視線は激しいドラマのはじまりを,フラ・アンジェリコ『受胎告知』(1440)の大天使はマリアに頭を下げて敬いを表す。レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子』(1512)は視線が自然と主役に流れるように仕組んで注目させ,ボッティチェリ『ユディットの帰還』(1472)の交流する視線は共感を表す〜
 正解はすべて右ページに掲載されたAでBが駄作や編集の成果だというのが安心させる。そうでなかったら悩むかも?

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15/08/14
『春雷』:葉室麟(はむろ りん):2015年3月20日:\1600:祥伝社:県立M高校図書館
★★★
 豊後羽根
〜羽根藩の御勝手方総元締・多聞隼人は15年前に仕官した者であるが,年貢の取り立て・禄の半知借り上げなどで鬼隼人と嫌われている。出入りの商人・白金屋の若い女房が女中として入っているが,隼人が通う元筆頭家老の旧隠居宅である欅屋敷の女人は元妻ではないかとも噂されている。何度も計画が頓挫している黒菱沼の干拓を命じらると予想した隼人は,大庄屋の七右衛門の訪問を受け,重い菓子折を貰うが,干拓に一枚噛ませろとの意向だ。幾つも新田開発を成功させた七右衛門は,百姓をただ働きさせ,開発地は自分のものとして身代を大きくしている,人食いと綽名される。干拓の絵図面を引くためには,酔って暴れた千々石臥雲を牢から出す必要がある。当然,農民の反対も予想される。家老の末席に加えて貰わねば改革はできないと,名君の誉れ高い藩主・兼清に掛け合うが,藩主は筆頭家老・勘右衛門の了解を取れと云う。隼人は,15年前の出来事を持ち出して了解を得るが,新参者が出しゃばることを嫌い,正義を振りかざす儒者・白木立斎とその弟子の修験者を遣って脅し,殺害も企てる。剣のみならず柔術の達人である隼人は,これを撃退し,首領の玄鬼坊を捕らえ,鉄砲で口封じされそうな処を助けて脇腹に傷を負うが,玄鬼坊を現場の差配補助として手に入れた。干拓事業が始まるが,妨害も本格化。白金屋太助が播磨屋に訴えられ,播磨屋から買ったはずの土地を取り上げられそうになるが,店を畳み,七右衛門の番頭になることで,立ち直りを図る。勘右衛門は博打打ちを遣って一揆を起こさせ,七右衛門を殺して財産を取り上げ,隼人を失脚させて干拓事業を棚上げ,秋成物の銀納を軽減することで自らの権勢を保つことを考えた。一揆が起こりそうな気配に,七右衛門は覚悟を決め,欅屋敷が隼人の大事な場所だと考えて襲わせ,沼の作事小屋の焼き討ち計画が進む。太助と屋敷に帰った七右衛門は大坂の店の権利を太助に譲ると書状を認め太助を作事小屋に帰すと,襲ってきた一揆衆の前に姿を現し,博打打ちが差し出した脇差しの前に胸を突き出した。欅屋敷は鬼火が出たと騒ぐ孤児たちに大木に上らせ,油を染みこませた布や紐に火を付けて,欅の枝も燃やして,一揆の勢いを止めた。作事小屋では,臥雲が捕らわれ,隼人に引き取りを命じてきた。隼人は山の神社に一人で出向き,家老として年貢減免を約束した上で,七右衛門を殺害した博打打ちを袈裟懸けで打ち倒した。証拠もないまま領民を殺したことを咎めた筆頭家老の切腹の沙汰に,隼人は15年前の出来事を持ち出し,初のお国入りの際に峠で乗った馬の蹄に掛けて殺した娘に詫びろと迫り,閉門蟄居の沙汰は受け入れた。翌朝,切腹の上意を伝えた立斎を殺害し,討っ手を数名返り討ちにした後,鉄砲の前に我が身を晒した。一揆を鎮めた家臣を殺した藩主は隠居に追い込まれ,百姓の中にも隼人を鬼ではなく,世直し様と呼ぶ者が現れる〜
 主人公は剣の達人で,正義感溢れる人物であるが,守旧派に妨害される…そんな人物が,このシリーズでは三名。「蜩ノ記」も読んだはずだが,内容を覚えておらず,その次のタイトルは何だったっけ…「潮鳴り」で襤褸蔵だったね。祥伝社は山本一力の深川駕籠シリーズを読んで呆れたが,この物語は構成がしっかりしているのか,後の加除訂正が効いているのか,丁寧だわ

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15/08/12
『日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族』:深谷敏雄(ふかたに としお):2014年12月20日:\1800:集英社:茂原市立図書館
★★★★
 真相は闇の中で,日の丸に忠誠を誓った義治氏は戦後の諜報活動を語ろうとしないから戸惑う。今,百歳
〜大4(1915)島根県太田市に生まれる。昭7(1932)旧制中学を中退・大阪伊藤岩商店勤務。昭12(1937)応召,歩兵一等兵として中国大陸へ。昭14(1939)憲兵志願試験合格。昭15(1940)明治勲章勲八等。伍長勤務上等兵になり,済南赴任。参謀本部直属として諜報謀略工作への従事開始。昭17(1942)陳綺霞と謀略結婚。昭18(1943)勲七等瑞宝章。中野の陸軍憲兵学校6月,憲兵曹長。昭20(1945)敗戦。任務続行の命令を受け,中国上海での潜伏開始。昭33(1958)中国公安により逮捕され,上海市第一看守所に投獄される。このとき,妻31歳,長男12歳,次男10歳,三男6歳,長女0歳。昭49(1974)無期懲役判決で上海市監獄に移監。家族と16年振りに面会。昭53(1978)日中平和友好条約締結で特赦。11月5人の家族と大阪空港に帰還,島根に暮らす。昭54(1979)重婚罪で告訴されるが無罪。昭55(1980)拘禁の後遺症で身体障害者五級第二種認定。昭59(1984)テレビ朝日水曜スペシャル『日本100大出来事』で歴史の真相を公表。平17(2005)重度身体障害者になり広島の病院に転院。平成26(2014)99歳,寝たきりの生活〜
 拘禁中に背骨を折っても治療してもらえず,自分で直すが,寒さに震える中で,歯だけが伸びて鬼のような形相となったため,4回に分けて29本の歯をすべて抜かれた。妻も太田で水汲み中に転び,脊椎骨折している。日本の名誉のために,戦後の諜報活動は認めず,その後も語ることはなかったが,上官の証言で,任務継続を命じられたのは間違いなく,平成9(1997)年8月に上海で発行された「上海灘」という雑誌に「一個長期潜伏上海的日本間諜」という記事が載り,サブタイトルに「軍国主義処心積慮,隠身中華伺機還魂」とあって,著者は刑務官だ。日中貿易が活発化していく中で,元軍人が貿易商として上海に来て,接触を持ったため逮捕した…とある。ふーむ,戦後の諜報活動を継続していたのか…?判断が付かない。文化大革命の影響を受けて,酷い扱いを受けたことは間違いなく,友好条約締結で帰国できたことも間違いない。帰ってくると母親には軍人恩給が支給されていて,その一方で年金を払っている。本人が軍歴を申告しなければならないのに…身内が架空の軍歴を申告したのだろう。身内って誰なの?この部分が一番の疑問。もっと貰えるはずなのに,中国に亡命したものと役人からは見倣されている。政治家や同期生は一生懸命やってくれているけど,役人は頭が固くて駄目,政治決着を望んだが,その政治家が病気になって頓挫。そこいら辺に違和感を感じるんだよね。この次男の書き方も,白髪三千丈的な世界で,中国人的な発想が垣間見られ,その一方で祖国に馴染みたい気持ちもあり,ま,複雑だっていうのはよく解るよね。読むのに一週間かかりました。この次男は私より8歳年上。義治さん,百歳!!なんと丈夫なことだろうか?頑強な精神力?

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15/08/05
『花明かり』:山本一力(やまもと いちりき):2011年11月10日:\1800:詳伝社:茂原市立図書館
 深川駕籠の3だけど,月刊「小説NON」という雑誌に掲載したらしいが,もう少し推敲(加筆・訂正)して出して欲しいなぁ。何しろ,繰り返しが多くて
〜新太郎は相肩の尚平の思い人・おゆきがやっている坂本村の一膳飯屋で,庄兵衛とその妻およねと知り合うが,およねは昔,日本堤の毘沙門天と綽名される疾風駕籠の乗り手だったが,足腰が立たなくなって来年の桜は拝めないと弱気になっている。木兵衛長屋の花見に連れて行こうと,準備が忙しくなる前の深川を出て,村に迎えに行き,一ツ目橋で千住の寅に嫌がらせを受けるが,いなして連れてきた深川ではゆっくりと桜の下を歩いている。それを突き飛ばしたのは又も寅,乗り手である千住の旅籠屋・木村屋は手を貸そうともせず,桜の下に敷いた筵に土足で上がり,千両を掛けた駆け比べを仕掛けてきた。およねを乗り手にする訳にも行かず,おゆきを特訓して乗り手としようとするが,千両の掛け金は捻出できない。大家の木兵衛は,千両の十倍,一万両の賭けを持ち掛ける。両替商も了承するが,このままでは,旅籠屋が身上を潰すか,寅が責任を取って死ぬか…やって良い賭けではない。寅と相談して,駆け比べは中止にした。良い思案だと褒められた駕籠屋は1両を得て,合羽を誂えた。時刻丁度に大門へという親方は,テキ屋の元締め・吉五郎に認められ,岡本での鰻をご馳走になるために,2両3分の合羽を着て,駕籠にも合羽を羽織らせた。ますます感心する吉五郎を送って,最後に乗せた客は海賊橋のたもとの花椿という花屋の女将だった。下からの跳ね返りは防げないと言われた新太郎は,次の日に稼ぎに出ようとせず,どうしたことかと阪本村で訊ねると,恋煩いだという。尚平は吉五郎に相談し,女将も恋煩いらしい。花椿への客を乗せて,女将自ら迎えに出るが,言葉を交わさない。合羽は評判になり,深川駕籠の名が知られるが,悪評も立つ。その悪評は,女主人を思う・花屋の手代が流したものだった〜
 疾風駕籠の乗り手って,レディースの頭・スケ番? 駆け比べは中止にしちゃうし,駕籠屋の合羽が二人分で二両三分って…それ,26・7万円って事? ずいぶん儲かるんだねぇ。尚平の恋は余り進まず,新太郎は恋自体を諦めたのか? ああ,苛々する!!!

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15/08/03
『潮鳴り』:葉室麟(はむろ りん):2013年11月10日:\1300:講談社:県立M高校図書館
★★★★
 剣の達人であることが前提
〜伊吹櫂蔵は襤褸蔵と揶揄される豊後・羽根藩の舟手奉行の跡取りだったが,日田の掛屋で商人に媚び諂う武士の姿に触れ,剣の腕前を見せろと言われて,畳を叩いて持ち上げ,居合いで真二つにした不始末で,異母弟に跡目を譲って,浜の漁師小屋で暮らしている。新田奉行並になった弟の新五郎が突然訪れ,不始末で家財を売った一部を置いて,翌日切腹した。櫂蔵に遺した文では,日田掛屋の小倉屋に,藩で行われている明礬作りを振興するため,5千両を借りたが,江戸での費用として送られてしまい,詫びるつもりで297両を充てたというのだ。3両を呑んで博打ですってしまった櫂蔵は激しく後悔し,入水して果てようかと思い詰めたが,浜で飲み屋を開いている女・お芳に止められた。弟の直接の上司・勘定奉行の井形清左衛門が殿・三浦兼重の温情で,致仕していた櫂蔵に弟と同じ職で再び出仕する気はないかと聞いてきたのだ。生さぬ仲の継母・染子は,戻るなら奉公人は召し放ちにするという。櫂蔵は俳諧師で,三井越後屋の大番頭をしていた咲庵と,惹かれていることに気が付いた・お芳をゆくゆくは妻にしたいと,屋敷に連れてきて,更にかつての父の手先の宗平と娘の千代も伴ったが,継母の染子は極めて冷淡な態度だ。出仕すると,新田掛の配下の四五十代の侍のやる気はなく,若手の笹野信也は山廻りをして隠し田を見つけては新田として届けさせることに腐心しており,小見陣内は井形の間諜だ。咲庵が帳簿を調べると,何もしていない普請に公金が支出され,茗荷金として暫く後に同額が還ってくるが,それは博多の豪商・播磨屋が絡んでいることが判った。櫂蔵は播磨屋の出店に番頭を訪ねるが,唐明礬の輸入を止めて明礬の値崩れを起こさせない工夫を播磨屋は承知していることは判明し,追い返されてしまう。日田に行き,小倉屋に挨拶をしても同様だが,利があれば,商人を味方にすることができると咲庵は言う。染子に追い出されそうな女中勤めをしている芳は,風邪引きの自分に粥を作って取り入ろうとしているのかと詰られるが,お芳は汚れているかも知れないが嘘だけは吐かないのだと反論し,次第に染子に認められていく。サトという娘が親の為した借金の肩として女衒に売られそうになるのを見掛けた信也は,サトは死んだ新五郎の思い人で十両あれば救い出せると訴え,咲庵の伝手で十両を差し出した櫂蔵の気配りで救われたかに思われたが,他に三両の借金があって,博多に売られていった。配下の三名は,主君の吉原での乱費を止めようとして,国許に帰され,井形の監視を受けていたのだが,里の娘を親身になって心配する櫂蔵が,改革に本気であることを知らされ,再び改革の先手になる覚悟が伝わってきた。博多で商家の主と対面してあしらわれた櫂蔵は,咲庵の息子から,唐明礬を一手に扱う商家が播磨屋だと知らされ,江戸へ送られるはずの5千両は城下の播磨屋の蔵に眠っていると推量した。これを取り戻し,西国郡代を通じ,賄賂を送って,明礬輸入止めを実施させたらと小倉屋からの知恵を手に入れる一方,お芳を揺さぶって圧力を掛けようと言う井形の思惑は,お芳が井形の脇差しを奪って自分の胸を突いて自害した。復讐は弟の遺志を全うすることだと覚悟した櫂蔵は,大名貸しの播磨屋の主人が資金不足で5千両を博多に動かす企みを察知し,郡代の手先を連れて大八車を奪い,小倉屋に返還した。染子から井形の悪事を告げられた兼重の母・妙見院は,井形を閉門蟄居とし,息子が養子を迎えて隠居することを条件に,家中のすべての女が主君の敵になることを止め,櫂蔵は幕閣との交渉を行う勘定方として江戸に行こうとしていた〜
 豊後羽根藩が舞台だけど,豊後って佐伯君も好きでよく舞台にしてますね。何故でしょう。さて…櫂蔵は剣の達人で,畳を叩いて立ち上がらせ,居合いで真っ二つにしただけでなく,大八車を襲って立ちはだかる小見の髷を切り落とすシーンがあるので含みとしては重要,でも人は斬らない。「落ちた花は二度と咲かぬ…か」,落ちた花をもう一度咲かせてみようじゃないかという決意と共に酒を断つ。襤褸蔵と呼ばれ侮辱されても死なない覚悟を持てるのは櫂蔵だけでなく,芳も咲庵もさともそうだった

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15/08/
 
★★
 
〜〜
 

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最終更新日 : 2015.08.31

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