2015/08/21
こちらが第一弾〜

「決戦! 関ヶ原」
〜伊東潤・吉川永青・天野純希・上田秀人・矢野隆・冲方丁・葉室麟〜

『決戦! 関ヶ原』:伊東潤・吉川永青・天野純希・上田秀人・矢野隆・冲方丁・葉室麟:2014年11月18日:\1600:講談社:県立M高校図書館
 オムニバス・戦国合戦小説集の第一弾
〜<徳川家康>伊東潤:石田三成の武断派を除くための策略に家康は乗ることにした。本多正信も支持する。徳川家臣を損なうことなく進めたい。一気に勝敗を決めない為,正信を遣って足止めさせた。仕上げは小早川秀秋の裏切りを促すための,松尾山への一斉射撃。これからは自分が漬け物石になる覚悟だ。<可児才蔵>吉川永青:齋藤達興・明智光秀・織田信孝・柴田勝家・三次秀次・前田利家,仕えた大名すべてが敗者だ。今度は東軍の福島正則,抜け駆けをさせるぬ為,五十名で見張っていたが,井伊兵部直政が家康四男の松平忠吉を連れて物見だと嘘を吐き,霧の中で発砲し戦端を開いた。面目を潰された才蔵は,井伊を戦場で探して成敗するつもりだが,敵に囲まれている。救い出して対峙するが,井伊はすでの死を覚悟し,可児の指物である笹を咥えて噛んでいる。迷いが消えた才蔵は,福島隊へ帰り,奮迅の働きを示す。<織田有楽斉>天野純希:信長の弟であるが戦働きは苦手で,頭を丸めて茶道に励んでいるが,一度くらいは450名の手勢で武功をあげたい。前線に飛び出ても息子の長孝に救われているが,取り残された横内喜内のくびを初めて挙げた。大坂に戻って上方を見張る役目を与えられ,ほっとする。<宇喜多秀家>上田秀人:備前の梟雄の息子だが,毛利への先兵として利用されているのは分かっているが,太閤に助けられたのも事実。秀頼も弟として可愛がった。しかし,淀と三成によって遠ざけられが。西軍にいるのは本意だが,福島勢が進出し,裏切った秀秋が攻めてくる。家臣に抱きかかえられ戦場を抜け出し,薩摩に潜伏し,家康が将軍になってからは八丈島へ流罪に処せられたが,八十三歳まで生き延びた。<島津維新義弘>矢野隆:薩摩藩主の弟は関ヶ原の戦場に立ちながら,他人所の戦いだと冷静に考え動かなかった。最初はうるさかった甥の豊久31歳は覇気をみなぎらせているが,戦局は敵に傾くと撤退を進言する。今,家康目掛けて突進するのが自分の戦いだと決めると,豊久も前しか見ずに進み始める。前に立ち塞がる敵を倒して空隙へ抜けた瞬間,家康は止まれという。豊久には身を挺して引き戻された。家康本陣を掠めるように敵陣を突破した結果が残った。<小早川秀秋>冲方丁:自分は秀吉の縁続きで大名となったのは承知している。義兄の秀次と同じように自分も切腹させられるのか思ったが,小早川に養子に出され,朝鮮への足がかりの為に筑前を任され,朝鮮入りの総大将ともなった。秀吉の叱責を受けながらも,備前を加増され,秀吉亡き後,十代にして五大老の地位にあり,西軍に身を置いているが,家康の人となりを見ると,平和の世で米が出来るまでを知っている家康がどのような国作りをするのか見たくて,東軍への寝返りを決意した。<石田三成>葉室麟:恵瓊の策は,上杉と徳川を戦わせ,東を徳川,西を毛利の支配下に置くというものだが,その策に乗った振りをして三成は,関ヶ原に出陣し,大谷吉継に因果を含ませて戦死させた。北の政所を通じ,小早川に働きかけて裏切らせ,戦いを速やかに決着させ,豊臣恩顧の大名たちを際立たせて,豊臣家の延命を図る策は,恵瓊の上を行くものだった〜
 最初が勝った家康で,最後が負けた三成って構成。面白い行動は島津義弘だよね。伊東さんは,家康が三成の策に乗ったと言わせ,葉室さんは,三成が恵瓊の策の上を行ったと言わせる。なるほどね

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最終更新日 : 2015.08.21

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