2015/08/12
〜なんと云ったら良いんだろうか…同情する気持ちが70%…残りは戸惑い?〜

「日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族」
〜深谷敏雄〜

『日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族』:深谷敏雄(ふかたに としお):2014年12月20日:\1800:集英社:茂原市立図書館
 真相は闇の中で,日の丸に忠誠を誓った義治氏は戦後の諜報活動を語ろうとしないから戸惑う。百歳前に死んじゃった
〜大4(1915)島根県太田市に生まれる。昭7(1932)旧制中学を中退・大阪伊藤岩商店勤務。昭12(1937)応召,歩兵一等兵として中国大陸へ。昭14(1939)憲兵志願試験合格。昭15(1940)明治勲章勲八等。伍長勤務上等兵になり,済南赴任。参謀本部直属として諜報謀略工作への従事開始。昭17(1942)陳綺霞と謀略結婚。昭18(1943)勲七等瑞宝章。中野の陸軍憲兵学校6月,憲兵曹長。昭20(1945)敗戦。任務続行の命令を受け,中国上海での潜伏開始。昭33(1958)中国公安により逮捕され,上海市第一看守所に投獄される。このとき,妻31歳,長男12歳,次男10歳,三男6歳,長女0歳。昭49(1974)無期懲役判決で上海市監獄に移監。家族と16年振りに面会。昭53(1978)日中平和友好条約締結で特赦。11月5人の家族と大阪空港に帰還,島根に暮らす。昭54(1979)重婚罪で告訴されるが無罪。昭55(1980)拘禁の後遺症で身体障害者五級第二種認定。昭59(1984)テレビ朝日水曜スペシャル『日本100大出来事』で歴史の真相を公表。平17(2005)重度身体障害者になり広島の病院に転院。平成26(2014)99歳,寝たきりの生活〜
 拘禁中に背骨を折っても治療してもらえず,自分で直すが,寒さに震える中で,歯だけが伸びて鬼のような形相となったため,4回に分けて29本の歯をすべて抜かれた。妻も太田で水汲み中に転び,脊椎骨折している。日本の名誉のために,戦後の諜報活動は認めず,その後も語ることはなかったが,上官の証言で,任務継続を命じられたのは間違いなく,平成9(1997)年8月に上海で発行された「上海灘」という雑誌に「一個長期潜伏上海的日本間諜」という記事が載り,サブタイトルに「軍国主義処心積慮,隠身中華伺機還魂」とあって,著者は刑務官だ。日中貿易が活発化していく中で,元軍人が貿易商として上海に来て,接触を持ったため逮捕した…とある。ふーむ,戦後の諜報活動を継続していたのか…?判断が付かない。文化大革命の影響を受けて,酷い扱いを受けたことは間違いなく,友好条約締結で帰国できたことも間違いない。帰ってくると母親には軍人恩給が支給されていて,その一方で年金を払っている。本人が軍歴を申告しなければならないのに…身内が架空の軍歴を申告したのだろう。身内って誰なの?この部分が一番の疑問。もっと貰えるはずなのに,中国に亡命したものと役人からは見倣されている。政治家や同期生は一生懸命やってくれているけど,役人は頭が固くて駄目,政治決着を望んだが,その政治家が病気になって頓挫。そこいら辺に違和感を感じるんだよね。この次男の書き方も,白髪三千丈的な世界で,中国人的な発想が垣間見られ,その一方で祖国に馴染みたい気持ちもあり,ま,複雑だっていうのはよく解るよね。読むのに一週間かかりました。この次男は私より8歳年上。義治さん,百歳!!なんと丈夫なことだろうか?頑強な精神力? ずっと,「ふかや」って読んでたけど,実は「ふかたに」

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最終更新日 : 2015.08.14

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