2015/07/15
〜日本舞台のフランスもの〜

「ラ・ミッション−軍事顧問ブリュネ−」
〜佐藤賢一〜

『ラ・ミッション−軍事顧問ブリュネ−』:佐藤賢一(さとう けんいち):2015年2月25日:\1850:文藝春秋:県立M高校図書館
 フランスものだが,舞台は日本
〜幕府の軍事顧問団として来日したブリュネ中尉は,大阪に練兵場を作ると聞いてきたのだが,薩長軍と将軍が鳥羽・伏見で戦闘に及び,大坂城に退却したが,諮問があるかと待っていても,慶喜自らが江戸に逃げ帰ってしまったのだ。江戸に帰っても,巻き返しを図るでもなく,小栗を更迭して,主戦派を遠ざけて,勝安房を起用している。当然,フランスからの軍事顧問団も用済みとなり,ヨコアマで無聊を託っている。新撰組の土方やオランダ帰りの大鳥,榎本などは意気盛んで,ブリュネは休職して伝習隊と行動を共にしたいが,ロッシュの代わりの新公使ウートレーは,タイクン政権に肩入れして敗れた穴を,イギリスの尻馬に乗ることで失地回復を狙っているから許されるはずがない。イタリアの新公使館披露目に和装で出たブリュネは,ナポレオン3世にまで手紙を遺し,横須賀から開陽丸を旗艦として2500名の旧幕臣と共に北を目指した。海は荒れ,開陽丸の直径24cmの心棒を持つ舵は捻じ切れた。仙台で,会津から撤退した連中も乗り込み,蝦夷が島でアコダテを人質に取る作戦だ。イギリスが乗り出してきても,海軍力では劣るが,陸軍力で負けるわけはない。鷲の木で上陸して,45kmを転戦しながら函館からミカド軍を追い払い,松前藩も青森に追い払った。蝦夷共和国は榎本を総裁に選び,軍備を固めたが,開陽丸は遂に座礁し沈没した。蝦夷平定記念に来航したフランス海軍のデュプレクス号のトゥアール中佐は,ウートレーから妻トミが窮地に立たされているのを知り怒りに震える。局外中立を放棄したイギリスの思惑で,アメリカからストーンウォール・ジャクソン号がミカド政府に引き渡され,内陸3kmの位置にある五稜郭は,艦砲射撃の的になる。回天丸ほか3隻でストーンウォール号の乗っ取りを宮古で仕掛けるが,嵐でバラバラになって外輪船の回天一隻で拿捕できるわけはなかった。五稜郭が艦砲射撃の的になっても五稜郭が陥落したわけではない。イギリス人は突撃などやらないからだ。現に陸軍でもイギリス士官が指揮している。しかし,兵は薩長!勇猛なサムライだった。士官の命令を無視して突進してくる。ブリュネは負けを覚悟し,何としてもヨコアマに帰って,停戦の仲介をフランス公使にやらせる腹を決めた。ヨコアマに帰っても上陸は許されず,トゥアール中佐が受けた命令は本国送還だった。中佐の銃を奪い針路を北に返させ,死んだカズナーブ伍長の代わりに,イジカタを乗せた一行は,フランスで大歓迎を受ける〜
 フランス人は熱血漢が多い!フランス人はHを発音できない。久し振りの佐藤賢一モノでした

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最終更新日 : 2015.07.16

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