2015/07/05
戦後の児童移民の悲劇

「希望の海へ」
〜マイケル・モーパーゴ〜

『希望の海へ』:マイケル・モーパーゴ:佐藤見果夢(さとる みかむ)訳:2014年7月30日:\1680:評論社:県立M高校図書館
 戦火の馬の作者でなかったら手を出さなかっただろう。ほかに何か読んだかなぁ?
〜第1部<アーサー・ホブハウスの物語>アーサーは孤児だった。キティという姉がいて,別れるときに小さな鍵を貰ったのを覚えているが,今では姉自体が想像の産物かもしれないと思っている。イギリスから他の孤児同様に船に乗せられ,船酔いで吐く度に仲間から非道い扱いを受けたが,首謀者のウェス・スナーキーを5歳年長のマーティーが殴り倒してから,アーティーが保護者となった。オーストラリアに着くとグループ分けされ,バスで辿り着いたクーパーズ農場で,主・ブタ・ベーコンから奴隷のような扱いを受けた。マーティーが,そしてウェスが鞭打たれ,一番の被害者はウェスでハンガーストライキの後,仲良しの馬・ビッグ・ブラック・ジャックに乗って脱出したが,首の骨を折って戻ってきた。妻のアイダは当初,夫に逆らえなかったが,子供らの肩を持つようになり,猟銃を夫に向けて,寮に火を付けようとしたが失敗した。その晩,僕とマーティーはビッグ・ブラック・ジャックに乗って逃げ出した。途中で黒い人々に拾われ,数日を過ごして置いてきぼりにされたが,それは野生の有袋類を保護して野性に帰しているメグズおばさんの牧場だった。7年を過ごしたぼくらは,メグズおばさんの知り合いであるフレディ・ドッズの小さな造船所に勤め始め,船のこと,海のことを学んだ。しかし,酷い不況を乗り切るために,ドッズは造船所に放火し,誤って警察がマーティーを捕らえると,堪らず自首していった。マーティーは荒れ,酒に酔って海に落ち死んだ。造船の仕事は見つからず,マグロ船に乗って多くの美しいマグロたちが殺されるのに嫌気がさし,海軍に入って駆逐艦乗りになったが,オーストラリアはベトナム戦争に参戦し,見えない所から北ベトナム兵士を殺している事に嫌気がさして除隊した。オーストラリア中を放浪し,最後に気が付いた時には,タスマニアの精神病院に強制入院させられた。人間扱いしてくれる看護婦・ジータに身の上話をする内に回復し,退院すると,造船業を営むジータのクレタ島から来た父に認められ,船の設計を任され,ジータと結婚して,アリーという娘を得た。アリーは造船所で職人たちと育ち,ヨットレースに出ては優勝してくる生まれながらの船乗りだった。幸運の鍵・キティの話をすると,ヨットでイギリスに帰って,キティを探す夢を持つに至ったが,僕の脳に腫瘍ができて,治療はできず,自分の物語をアリーに口述して残すことが精一杯だった。第2部<キティ4号の冒険>父アーサーが決して沈むことのないヨットを残してくれた。GPSも自動操舵装置も衛星電話もパソコンもある。16歳のアリーは父の遺志を継いで,東回りでホーン岬を迂回し,イギリスへ行くルートを選択した。嵐に何度もあって何度も転覆したが,キティ4号は立ち直った。ISSのクルーとも国際電話で話をし,メールで近況を送って,HPも更新して,じいちゃんの造船所の宣伝も十分以上にできたが,一番の支えは,一緒に来たアホウドリ。大西洋を北上する際,出し放しの釣り糸を手繰ると,心の支えを引き摺って殺していた。ただただ北上したが,間もなくイギリスが見える場所で嵐に遭い,転覆して復元する際に,腕を折ってしまった。自分で応急処置をしたが,誰かが落としたコンテナで舵を壊され,救助隊に助けを求めた。列車でロンドンに向かう際,オーストラリアから波を探して放浪しているマイケルと意気投合したが,ISSのメンバーだった博士が,テレビでキティ探しを呼びかけ,カナダに住む伯母と会うことが叶った。父に渡した小さな鍵は,ロンドン橋落ちたのオルゴールの螺子巻きだったのだ〜
 マイケルの話は必要だったのだろうか。帰りはどうしたのだろう? ま,蛇足になりそうだが。戦争で人口が減少した旧イギリス領植民地と本国との間で,戦争孤児を中心とした児童植民が当人たちの意思を無視して行われていた

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最終更新日 : 2015.07.05

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