2014/09/19
評判になった本〜

「毛利は残った」
〜近衛龍春〜

『毛利は残った』:近衛龍春(このえ たつはる):2009年6月5日:\1800:毎日新聞社:県立M高校図書館
 ずいぶん前に評判になった本だと思ったが,5年前???
〜毛利輝元は父・骭ウが早世したため中国八カ国の大所領を継いだが,祖父・元就が残したのは天下を望むなと言う言葉だった。太閤が亡くなり,天下は徳川家康に傾いているが,毛利と徳川は同格だ。家康が上杉を会津に攻めるため,上坂せよと安国寺が求めてきた。制止する者もいるが,石田三成の思い通りには進ませない積もりで大坂城にやってくると,家康に挑む西軍の大将に据えられてしまった。吉川廣家は黒田・福島に通じて徳川に内通しようとし,一時は跡継ぎにした従弟の穂田秀元は決戦に挑むべきであり,名代の逸る気持ちを抑えきれない。かくして関ヶ原は態度を決めかねている者を尻目に,家康が三成を打ち破ったが,廣家の内通で本領は安堵されそうだ。家康と本多正信は,毛利を長門・防府の二カ国に封じ込め,自滅を待つ作戦に出た。輝元は出家して宗瑞と名乗り,嫡子・秀就に家督を継がせたが,伏見に留め置かれて,領国の沙汰を下し,家名を守る新しい戦いを始めた。6カ国を削られ,家臣の扶持も五分の一とした。無理難題を掛けてくるのを借財を重ねながら熟し,酒も控えめにして,家康や正信よりも長生きすることを目標と定め,新田開発を奨励して,29万8480石を53万9200石へと増やしたのだ。居城についても,築城困難な萩を指名してくると踏んで,第三候補に挙げておいた。借財もなくなり,普請もこなし,大坂方に味方することなく戦国最後の戦いを終えた。不屈の精神は・・・〜
 この本を読んで山口県に行きたくなった

9月の記録にジャンプ

読書記録の目次に戻る

最終更新日 : 2014.09.19

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送