2014/06/29

〜このタイトルはどういう意味?〜

「わたしをみつけて」
〜中脇初枝〜

『わたしをみつけて』:中脇初枝(なかわき はつえ):2013年7月13日:\1400:ポプラ社:県立M高校図書館
 わたしは此処に居るのよ!と云いたいのか,本当の私が漸く判ったから・・・と云いたいのか
〜弥生という名を告げると三月生まれかと聞かれる。捨てられた私が拾われたのが3月で,名付け親の区長の山本という名前だったのだ。施設で暮らし,小一で養父母と暮らし始めたが,良い子でなくても面倒を見てくれるのか試すために,玄関の花瓶を階段から投げ下ろした。児童相談所に入って学校へ通えずにいたため,九九を覚える機会を失ってしまった。高校卒業後,寮に暮らし病院に勤めながら学校へ通って准看の資格を手にした。産科のない病院に勤めて施設長に保証人になってもらってアパートを借りたが,正看のくせに私より仕事ができず,男から暴力をふるわれて,抵抗できない神田さんみたいな人もいる。遅刻して来る内科医は最低だし,手術前にナースの尻を撫でる院長もまともじゃない。新しい師長が来た。小さくて白衣のサイズはSだが,笑顔を絶やさず,患者の状態もカルテで把握している。夜勤が明けて自転車でアパートに帰るが,雨の中,犬と一緒に途中のアパートを心配そうに見ているおじいちゃんが居た。それが菊地さんだった。院長が虫垂炎と診断して手術をした患者が急変して死亡した。師長はレントゲンを見て,フリーエアを見落とし,上部消化管穿孔なのを誤診したのだという。患者の両親が説明を求めに来て,私は昨日手術した患者のカルテを持ち出すことで院長に協力した。大腸ガンで入院してきたのは菊地さんだった。集団就職で八百屋に勤めたが,それが今やチェーン展開するスーパーだ。病院の行き帰りに,例のアパートを見てきて欲しいと云われて頷いたが,良い子で居るのが嫌で,わざわざ別の道を使った。菊地さんの孫が九九を練習している場に立ち合って,九九を知らないのを見破られ,ひらがなの九九表を手渡されて観念し,アパートに寄ってみると,件の部屋の住人は同僚の神田さんだった。子への暴力で男は逮捕され,子は児童相談所に居ると云い,生活を変えたいのだとも云う。又しても院長が上部消化管穿孔を虫垂炎と誤診した。このままでは死ぬと断じた師長は,院長が退勤したタイミングで知り合いの医者に電話して,大学病院の救急への搬送を行った。翌日呼び出された師長と協力者の私は院長と看護部長に詰られ,師長は院長の誤診だと断言してしまった。師長を引っ張ってきた理事長も残念だと漏らす。師長は,そもそも自分は母子家庭で,准看を取り,正看,認定に進んだのだと教えてくれた。この病院の改革はならなかったが,看護師が看護の仕事に専念できるようにすることが大事で,正看を取って市立に来ることを勧めてくれたが,菊地さんが退院するまでは,この病院に居るつもりだ。菊地さんの患部は広がっておらず,簡単な手術に思えたが,リンパ節の切除を始めたら出血が止まらない。院長は輸血を拒否し続けるが,菊地さんが死ぬのを見過ごせない私は独断で日赤に電話し,Rh+O全血を8ユニット用意して貰う〜
 医師と看護師と師長と部長と准看と・・・話に出てこない看護助手。放射線技師や薬剤師もいて,経営を担う理事や事務方もいる。そうそう・・・患者もいる。差別社会の縮図だ。そういえば,准看育成を行っていた人は皆,制度に矛盾を感じながら仕事をしていたなぁ。准看の試験はほぼ100%合格,正看は85%位だったろうか? 弥生さんは九九ができなかったが,それでも高校は卒業できたんだね。濃度の計算なんて出来なくても,大丈夫? 乳児院・児童福祉施設で,誰も親しい人がいないと,学び直しの機会はなかったかも知れないが,施設職員やボランティアも気が付かなかったのだろうか? 30数歳になるまで,自分を捨てた親の気持ちを理解できないのは鈍すぎないか! 病室に花を持ち込ませないようになっているのを作者も編集者も知らないのは問題だ

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最終更新日 : 2014.06.30

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