2013/10/08
実は死んでいなかったという話〜

「岳飛伝E転遠の章」
〜北方謙三〜

『岳飛伝E転遠の章』:北方謙三(きたかた けんぞう):2013年8月30日:\1600:集英社:県立M高校図書館
 岳飛が処断された
〜呉用が宣凱に遺した言葉は岳飛を救えというものだった。一度は帝に拝謁すべきとの言葉に,岳飛は臨安に出掛けたが,謁見の後はひたすら説得を受け,受け入れない岳飛は宰相府の奥に監禁される。解散を命じなければ,南宋の総力をもって潰すと脅され,直筆の命令書を作ったが,謀反の疑いが掛けられ,梁山泊が動き出す。皇太子が太祖七世の子孫だという品が交換品だ。秦檜が立会い取引は成立するが,臨安の朱雀門で解放された岳飛は,すぐに正規軍と南宋の陰の組織が動いて抹殺され掛かる。燕青は多くの偽物を走らせ,追っ手を捲き,南へ同行する旧岳家軍の脱走兵が出現し,大理へ向かう途中,襲われて,破傷風に倒れる。秦檜は金と講和を模索するが,金軍総帥の兀朮は,蒙古に備える北の国境地帯に遊びに行ったきりだ。韓成は西遼の西の果てまで出掛け,反乱分子を宣撫しながら,上清の許で軍営を築き,西域から大量の銀を金で買い,大儲けを画策している。南では,秦容が開墾した甘蔗が順調に育ち,上流の王の都まで行って,その存在を認められた。李俊は大量の板を制作し,船大工の元締め,張朔が来るのを待っていた〜
 メコンかと思ったら,現ミャンマーのエヤワディ川。おっと,マレー半島を迂回していたか〜。歴史上では,秦檜に呼び出された岳飛は騙し討ちに遭い,斬首されて,遺体は長江に流され,哀れに思った人が拾って,廟を作り,愛国者が門前の人形を踏みつぶしてからお参りするようになった・・ということなんだけど。フィクションとしては,生き延びていて名を変え,もう人踏ん張りという方が面白いね。この本で終わるかと思っていたのに,肩透かし。また,面倒臭い男達の話が続く

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最終更新日 : 2013.10.08

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