2012/10/27
ダントン〜

「小説フランス革命[共和政の樹立」
〜佐藤賢一〜

『小説フランス革命[共和政の樹立』:佐藤賢一(さとう けんいち):2012年9月30日:\1600:集英社:茂原市立図書館
 表紙を飾るのはダントンとランバル大公妃,裏はギョテイーヌとルイ16世
〜警鐘が鳴り響く8月10日,マルセイユからの連盟兵を接待し終えたデムーランはコンドリエ街のダントンと合流し,市庁舎で蜂起の自治委員会の立ち上げを宣言し,ラ・マルセイエーズを歌いながら,テュイルリ宮へと向かった。ルイ16世は指揮官不在の国民衛兵隊を観閲したが,暴徒の姿に逃げ出し,大時計棟から議場裏の書記控室に身を移した。大時計台の車寄せに迫ったデムーランはスイス傭兵隊の組織的反撃に戦死しかけるが,連盟兵の砲撃でこれを斥け,命も拾った。王権は停止され,内閣改造で法務大臣となったダントンの補佐として書記官となり国璽を預かる身にデムーランはなったが,ロランが内務大臣に返り咲き,他のポストもジロンドは占めた。王一家はタンプル小塔に軟禁され,束の間の自由を感じていた。プロイセンとの戦いは苦しく,志願兵を募集するマラは全戸一斉家宅捜索で捕らえた王党派ら反革命分子がアベイ(大修道院)監獄から釈放される人々を血祭りに挙げてから前線へ送り出す。遂にジロンド派の大物にまで監視委員会による収監命令が出ると聞いて止められるのはダントンしかいないとデムーランは走り回った。21歳男子による普通選挙で国民公会の議員が決まり,兼職が禁止され,法務大臣を辞任したダントンは大臣時代の散財を糾弾されジロンド派と妥協せざるを得ないが,議員を辞職したロランは右傾化したジロンド派の力を増すため,地方出身の議員と地方連盟兵をパリに呼び寄せ,ジャコバン派の封じ込めを画策し始めた。王の処遇を巡り裁判所が無効だと判断は一致し,国民公会こそが裁判を担当すべきだとなった。ロベスピエールは王の処刑で革命を推進しなくてはならず,25歳のサン・ジェスト議員が,王は人民の敵であるから国際法で裁くべきだと期待以上の演説に力を得るものの,ジロンド派や平原派は裁判を長引かせ,人民投票にかけるべきだ,評決は2/3以上だ,執行猶予をつけるべきだと妨害に乗り出してくる。家族に類が及ばなければ受け入れるべきだとした王は,果たして有罪,量刑は死刑,執行猶予はなしと決まり,ルイ15世広場で従容として自分が改良を示唆した刃により首を落とした〜
 小説すばるに2010年6月〜11月に連載された。ちょいと彼の書き方に疲れてきた

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最終更新日 : 2012.10.27

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