2012/10/13
次で終わりかなあ?〜

「三国志 第十一巻」
〜宮城谷昌光〜

『三国志 第十一巻』:宮城谷昌光(みやぎたに まさみつ):2012年9月15日:文藝春秋:\1650:茂原市立図書館
 孫権が死ぬが三国は存続
〜呉の孫権は太子の登が死去した後,和を太子としたが覇も魯王として待遇を同じにしたため,群臣は二派に分かれいく。国力を弱める処置に諫言する者は力を削がれ,有為の者が消えていく。宰相の陸遜も諫止しようとして疎まれ,憤死した。71で不治の病床に就いた孫権に侍中の孫峻は亮の甥である諸葛恪を推挙し,孫権は和を廃位し覇を誅し,末子の亮を太子に立て,恪を太傅とするが,先の太子を復位させようとも考えているようだ。蜀では費イが軍事を抑え国力を充実させていたが暗殺され,羌維が表舞台に出ていく。魏の叡の養子・芳を奉じる筈の大将軍・曹爽は,高齢の司馬懿が病を得ていると侮り,一族の栄達を謀っていく。司馬懿は佯病で曹爽が魏帝と一族を連れて宮城から出た機会に宮中を制圧し,罪を重くするなと皇帝の身柄を戻し,曹爽の一族を滅ぼし,息子の司馬師にすべてを継承させた。孫権が亡くなり,呉の大権を握った魏の大権を握った諸葛恪は同じく服喪中である魏の司馬氏の隙を突き合肥の新城を攻めるため20万の大軍で攻め,蜀の羌維に南安郡を攻めさせて牽制を計っていた。司馬師は新城へ援軍を送らず,南安に兵を送って蜀を斥け,兵力を新城に向けると,攻城戦と水中りで兵の半数を失った諸葛恪は引き上げざるを得ないが,戦果を上げずに帰れないと私兵の様に用いようとする。侍中の孫峻は呉帝をないがしろにする態度が腹に据えかねず,帝と共謀して誅殺する。魏に於いても司馬氏を除こうとする陰謀が発生するが,いち早く知った司馬師は大掃除を開始する〜
 一年分の著作。一年前に読んだ内容を思い出すのに時間が掛かって,なかなかその世界に入っていけないのだ。緻密であるが故に面白いのだが,細かすぎるのも困る。登場人物の父や祖父の話や各国内の権力闘争などは世界史の授業では扱わず,一瞬の間だけで,この十一巻の内容は飛ばす。知っていて損はないけどね

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最終更新日 : 2012.10.13

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