2012/10/03
面白い部分と読み飛ばしたくなる部分が3:7〜

「河原ノ者・非人・秀吉」
〜服部英雄〜

『河原ノ者・非人・秀吉』:服部英雄(はっとり ひでお):2012年4月25日:\2800:山川出版社:県立M高校図書館
 さて・・・どういう繋がりがあるのでしょう
〜犬追物を演出した河原ノ者たち:武士の訓練と見せ物的要素を持つ犬追い物は犬の馬場(いんのばば)で行われたが,それには犬を集め,逃げた犬を追い掛け捕らえ,騎乗の武士を支える河原者の存在が欠かせず,絵からも帯刀していたことが判り,多くの報酬を得ていた。時に武装集団としても活躍する。大和北山非人宿をめぐる東大寺と興福寺:京から東大寺の大仏をお参りする人は多く,参詣人が慈悲の心から哀れなライ患者に施しを与えるため,発症したために家から出され,集落を作ったのが北山の坂で,その世話をするのが非人の役目だった。当然,仏教の精神から救貧所を作ったが,病に冒された人の唯一の楽しみであった入浴施設も作られた。京の清水坂も参詣客が多かったので,宿が作られたが,東大寺系と興福寺,八坂神社の利権争いに巻き込まれるケースが多かった。都鄙の療病寺と非田寺・清目(カワタ):救ライ活動の展開と地方の差別構造。信濃善光寺も参詣客が集まるから,乞食も多く,利権も絡む。全国に善光寺は勧請され,療病寺も造られる。越後国荒河保の「入出非人所」と奥山庄の「ひにんかう屋」:どこにあったのか。重源上人と「乞?非人」:東大寺の再建に非人が動員されたのは,土に触ると土神に祟る土用にも工事を継続する必要があったからで,大きな収入を得ていた。作庭や井戸掘りも同様で危険を伴い,特殊技術を要したため,穢多ならそのタブーを超越できたのだ。サンカ考:三角寛のフィクションはよくできているが,そもそも「サンカ」とは「サカノモノ」を強調して「サンカモノ」となり縮めて「サンカ」だ。太鼓作成と中世筥崎宮散所:神事に太鼓は欠かせず,太鼓は皮の高度な加工技術が必要だ。カワタはそれゆえに免役された。人身売買史断章・現代と中世を交錯する遊び女像:遊女は賤視されなかったが,かといって貴顕を産む白拍子ばかりではなかった。豊臣秀吉:父のない子として生まれた秀吉は継父と折り合いが悪く,家出して乞食の暮らしを玄海でした。猿まねで針を売り歩き,義兄は鷹の餌場管理の小役人だったから,賤視される餌差しとも繋がりがあった。母は連雀商人の一家に生まれ,新興商人で賤しい身分とされたが楽市などの市場の開発で利権も存在していた。淀の方は,子種のない秀吉のために,淀城内におこもり場を作り,非配偶者間受精で鶴松は授かったのだろう。陰陽師が絡む。夭折したのちに生まれた拾(秀頼)については,名護屋対陣中に淀が奧女中と僧侶・陰陽師と乱脈に走った結果で,関係者は多数処分されたが,自分の子とせざるを得なかった。陰陽師は各地に開墾に狩り出され,秀吉の死後,帰京したが,各地に痕跡は残る〜
 ライ患者の施設として非人村はあったのかぁ。差別される立場にありながら,脱賤して大名になるものもあった。農民の目からすると,タブーを恐れない者達に恐怖を覚えたのだが,権力を持つ者はうまく利用した。農民からの視点だけじゃ,差別問題は語れないなぁ・・・為になったが,退屈な部分(多分に学術的な箇所)は眠くなって困った

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最終更新日 : 2012.10.03

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