2012/08/31
楚から宋・鄭そして呉へ〜

「湖底の城3」
〜宮城谷昌光〜

『湖底の城3』:宮城谷昌光(みやぎだに まさみつ):2012年7月26日:\1600:講談社:茂原市立図書館
 楚で一暴れして,宋から鄭,そして呉へ
〜処刑場で父と兄を救い出そうとするが,存在を示しただけで,脱出した伍子胥は,太子健の亡命先である宋へ移動したが,宋の内紛で太子は鄭へと移っていて,楚に縁のある褒小羊を供に加えて鄭へ向かう。仕えようとしていた太子は,北の晋を頼って食邑を与えられ,武器を集めて鄭から睨まれている。危険を察知した子胥は公子・王孫を従えて呉へ逃亡する算段をしていると,まさに邸は囲まれ,武器を持たずに早めに包囲網を突破する。太子の生死は不明であり,陳まで辿り着いて,公子二人と別れ,州来で船に乗り,呉の朱方に至ると,津には蘭京がおり,桃永の身柄を確保しようとして荒事に発展したと屈託なく語る。呉王位継承者であって文化人として名高い季子が到着を喜んでいると云う。呉の外交を担っている季子は延陵に家を与え,かつて尹礼家で婚姻を申し込んだ女性・小瑰と再会,御佐も許嫁の青桐と再会を果たして結婚した。小瑰は楚の康王の末の娘で,父が弟に殺された時に礼尹家の養女となって助命されたのであった。会いたがっているという公子光の邸を訪ねると,呉王・僚に面謁を許され,楚を叩く好機だと説く伍子胥の言を止めたのは公子光であり,訝しく思っていると,公子光の邸に戻って客となると,自分を呉王に獲られたくないが故の発言であり,呉の未来を照らすのは公子光だと判断し,その客となることを決断し,武術大会の力比べで一等になった男も公子光に推薦した。永翁から預かった青銅の箱には鞣し革の上に不思議な記号が書かれていた。斉に落ち着いた孫武を桃永の生き別れになった兄・彭乙の船で訪ね,褒小羊に兵法を学べと命じる〜
 う〜む,親のやったことが子の道を拓いてくれるが,本人の勘が鋭いことも大事と。次は来年かぁ・・・待ち遠しいなあ

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最終更新日 : 2012.08.31

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