2012/08/09
対墺戦争が始まって〜

「ジロンド派の興亡」
〜佐藤賢一〜

『ジロンド派の興亡』:佐藤賢一(さとう けんいち):2012年6月30日:\1600:集英社:茂原市立図書館
 表紙を飾るのはロラン夫人とフリジア帽を被るルイ16世
〜1792年,オーストリアに最後通牒を突きつけたフランス立法議会はフイヤン派がパリ市政を牛耳っているものの,ルイ16世が閣僚を排斥し,思惑は別でも主戦派であるジロンド派を任命した。外務大臣には軍人出身のデュームリエ,内務大臣に採用されたロランは奥方が主催しているサロンが功を奏した影響だ。開戦に踏み切ったものの,将校と兵士の息が合わずに朗報は届かず,宣誓拒否派司祭の処分を求める法と2万人の連盟兵のパリ近郊配備を求める法も王の拒否権行使で実現しない。夫人に促されたロラン内務大臣は国王の前で大声を発して,罷免の憂き目にあった。ジロンド派は政権を取り戻すべく,ダントンに接近し,ダントンはジロンド派の思惑に乗る形で,6月20日フイヤン派打倒のために市民を動員し,テュイルリ宮殿に詰め寄った民衆の前で,ルイ16世は拒否権撤回は約束しなかったが,安酒を飲み,フリジア帽を被って見せた。7月フイヤン派内閣は総辞職し,戦況は好転せず,次なる蜂起にダントンはロベスピエールを巻き込む計画を持つ。パリ市長ペティオンとの話し合いの終わりにロベスピエールは狙撃された。デムーランと共にロベスピエールを見舞ったダントンは,ロベスピエールには受け取っていないと語った王からの金を使って連盟兵を接待し,蜂起を決行するとデムーランに語る〜
 小説すばるに2010年1月〜6月に連載され,2年後に単行本化。加筆・訂正が大変だったのか,7冊目の小説フランス革命が第二部に入って,次々と刊行して売る積もりなのか。ロラン夫人も1793年に処刑される運命。世界史では,反革命勢力を炙り出したいジロンド派と革命勢力をオーストリア軍の力で斥けたい王の意向が一致し,開戦に踏み切ったが,祖国の危機にパリ市民が蜂起して王を逮捕した・・・と教えるんだ。王の逮捕前に市民が王を追い詰めていて,王が毅然とそれを跳ね返したまでは語らない。このシリーズで残念なのは艶っぽい件が出て来ない点だ

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最終更新日 : 2012.08.09

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