相馬地方うろうろ

〜原町市立博物館〜

父の新盆に,姉兄妹3人で,提灯を新調

義父の生家では

米の替わりに豆を栽培(味噌用だそうです)   使われなくなったハウスの内側では西瓜・支柱で長芋
  

開館十周年の

「野馬追の里 原町市立博物館」

玄関前の馬の敷石


跳ね駒ですね

初めて見学することになりました

玄関前のオブジェ????

これは・・・

原町のかつてのシンボル
電波塔の先端部分です
下の図の様に
内側から各滑車を通って地上に電線を張り,アンテナにしました

これで,アメリカとの交信を行ったようですが,電離層の跳ね返りを利用することが解って価値が失われ
コンクリートの劣化で倒壊の危険が増したので
取り壊されました

原町といえば『野馬追祭』


祭場の裏手から上っていくと
祭場が見渡せます
この日は・小学生のサッカー大会

外周部で初日の競馬

緑地で2日目の神旗争奪戦が行われます
(見たことは未だないのですが・・・)

神旗をとった騎馬武者はこの坂を馬と共に登ってくるようです

博物館側は
祭場の東側

この東ヶ丘公園の一部をなしています

中央に博物館

神旗を鞭で奪う合う姿を再現した等身大模型

一千年余りの歴史を持つといわれる相馬野馬追は
 相馬人の心と気質(武士道)をつちかってきた,伝統ある行事です。
  神旗争奪戦のようす,さまざまな資料は今もいきづいている歴史と伝統のあかしです。


10世紀に平将門が下総で野馬を敵に見立てて・・・
12世紀に相馬某が奥州行方郡の支配を認められ

北は新地町から

南は大熊町まで

市町が参加します

こんな行列を仕立てて

勿論・農民の生活にも馬は深く関わっている

人の住まない原始から,古代・・中世・・近世・・近代

現代までが展示されています

館外には蒸気機関車もあり

原町は
「汽車の通った町」でもあったのです。

さて・公園内を歩いてみよう

これは「野馬土手」
  
市内のこの一帯は馬が放牧されていたらしく,馬が農作物に被害を及ぼさない様,土手を築いたのでした
(人の出入りのためには・木戸が設けられました)

芝生もあり,森もあり,池もあり

子供の遊べる遊戯施設もあります

これはキリンかな??

!いや!いや!

馬だ! 馬だ!

シーソーの中央部にも馬の頭部があります

巨大滑り台もあり

人の姿が見えなかったので・・・降り口にある段ボールを拾って・・・滑ってみました
それでも・・・お尻が痛くなって

熱くなりました

博物館で紹介されていた櫻井古墳に行ってみよう!

その1:原町市立博物館

その2:桜井古墳公園

その3:飯舘村で道に悩まされる

その4:太田に帰ってお礼参り

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最終更新日 : 2005.08.16

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