亀山湖から久留里城
〜今週は,連休〜
〜紅葉を求めて〜

その2

亀山湖から車で15分くらいでしょうか
久留里城へ

久留里城趾公園

全体が国有林です

下の駐車場に車を置いて,林道を登りました

こいつはアップにしても良いでしょう

物好きな方は写真をクリックしてみてください

こちらの小母さん

もアップにして見たければ,クリックをどうぞ

では,ここで,久留里城の説明を

上総 久留里城

 戦国時代後期,房総の覇者,里見氏6代義尭(よしたか)は久留里城を
本拠地とし,越後の上杉謙信たちと同盟を結び,小田原の北条氏と対立
します。その後,徳川の治世となり,重要な拠点であった久留里城は大須
賀・土屋・黒田氏の各大名が入城し,近世城郭として整備され,明治を迎
えました。
 久留里城は築城に際し,3日に一度21回,雨が降ったという伝説から,
「雨城」の別名があります。

 江戸時代黒田氏によって,普請された城は丘陵部の本丸に二重櫓,二
の丸に長屋塀,ふもと低地部の三の丸に御館を配置しています。

かつて,御殿があった三の丸は,駐車場と森林体験交流センター・売店
二の丸は,君津市立久留里城趾資料館
本丸は,コンクリートで再現され,展望台になっています

行き交う人も少ない道ですが,静かで歩きやすく,大変気に入りました

道々自生しているミツバツツジ
君津市のシンボル・フラワーだそうです
(今度は花が咲いている頃に来ましょう)

本丸手前の男井戸女井戸

説明版には

本丸の男井戸女井戸

 天平時代聖武天皇は仏教普及のため僧良弁を東国につかわれました。
良弁この地に来り雨城山に登り諸神を祀り,また仏像を刻み盛んに加持祈
祷をして諸民に仏の加護を施しました。又剱ヶ峯の麓に二つの井戸を掘り一
つを金剛水,他の一つを胎蔵水と呼び医薬の水としました。戦国の時里見
義尭安房より来り,安房,上総の国司となりますとここに城郭を築き80年
の長きに互り小田原の北条氏と関東制覇の野望に燃え度々雨城山下に
於て大きな戦いが展開されましたがこの二つの井戸により長い籠城にた
えました。江戸時代に黒田公も久留里城の用水は一切この二つの井戸に
たよりました。又領地内の雨乞いにもこの井戸が使われました。この井戸は
本丸山の嶺に在るにもかかわらずどんな干天の年にも常に水量が一定して
いて滾滾と湧出して尽きることをしりません。よって三代直亨公の時より藩士
の結婚の式にこの水を用い,新郎新婦は藩主に目通りの後必ずこの井戸の
清水をいただき夫婦永遠の契を結んだといいます。これは明治10年頃まで
続いたとの事です。又正月には江戸の上屋敷,下屋敷に樽に入れて運び若
水として使われたと伝えられております。

本丸は綺麗に紅葉したイロハカエデが美しく
本丸を背景に写真を撮りたかったのですが
カメラのバッテリーが上がってしまい・・・・・・

写真はここでお終いになってしまいました

残念・無念

交流センターでは,黒文字を使った飾り楊枝作りの体験が無料でできると
案内がありましたので,また,出掛けることに致します

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最終更新日 : 2003.11.23

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