いすみ環境と文化のさと

秋らしい天気に誘われて
千葉県夷隅郡をふらふらとドライブ
田舎らしい景色が広がる一帯です。

「いすみ環境と文化のさと」とは・・・?

 近頃まちでは,身近に自然が感じられず,自然の中で遊ぶ機会が
少なくなりました。でも,いすみはまだまだ自然がいっぱい!
 ここいすみ地域は,豊かな自然の中で古くから稲作を中心とした
生活が営まれ,神社やお寺も数多く残されています。この豊かな自
然の中で遊び,生き物たちとふれあい,人と自然の営みをより多く
の人々に感じてもらいたいという私たちの願いからこの“里”がつ
くられました。
 ここでは,この地域の情報が得られるセンター地区を中心に,7
つの特色ある観察地がみなさんの訪れを待っています。

先ずは
万木城趾

ここは,その一つ,万木の丘

夷隅町指定史跡
万木城趾(まんぎじょうし)

夷隅町万木字城山
昭和49年3月27日指定

 万木城は中世の城郭で現在までその遺構をよく留めている。
 この城の立地は断層崖の急傾斜を三方にもった台地によっている
が,この丘陵の三方は夷隅川の曲流に囲まれていて外堀の役目を果
たし,守るには要害の地ということができる。この中世城郭は戦国
時代の末期,すなわち16世紀の中頃には完備した城郭であったこ
とは永禄8年(1565)の行元寺文書の存在から傍証できる。こ
の城郭が比較的単純であるというのは,土居の配置が単純で,ただ
周囲の一部にめぐらされていたこと,空堀の築造がなかったと思わ
れることなどであるが,これは地盤の基底が硬い泥岩質で,急崖を
めぐらしている崖端城ともいえる要害が然らしめたもであろう。
万木城については不明な点が多く詳らかになし得ない。
 土岐三代説(頼元−為頼−頼春)
   五代説(頼元−頼房−頼定−頼春)
   九代説(時政−光頼−頼金−頼為−頼元−頼房−頼定−為頼
       −頼春)
等さまざまで,いずれも確証がないため,謎に包まれたままである。
いずれにしても,資料によれば頼春の頃天正末年には小田原北条氏
に属し,小田原落城により,北条市と運命を共にした事はまちがい
ない。城趾には,当時のものと思われる井戸や落城のときに焼けた
米が炭になって,当時米庫であったと思われる南側の台地の土中に
まで散在している。
   昭和63年6月30日

夷隅郡教育委員会

上の説明は以下のものを読みとりました

まあ,それはともかくとして

今は展望台です

眺めは抜群
東方向
(切り立った断崖の右側に海が見えます)

北方向
(夷隅川が見えると書いてありますが,木が邪魔しています)

西方向
(富士山が見えると書いてありますが,見えない)

眼下の広場には
土俵が・・・

南方向

いすみ環境と文化のさと・センター施設

中には

室内からリモートコントロールできるカメラ

ジオラマ

その向こうには,パソコンブースが4つ

鳥や虫の生態を説明しています

大変良く出来ています

こちらは生活用具

殆どが農具です

「どいて」とお願いすると妨害工作
手前に写っているのは・・・我が相棒の右脚

近くに棲息する動物
アナグマやタヌキ・イタチなど

外では

芋掘りと焼き芋作りの体験教室が開かれていましたが・・・

こちらは,手前が枝豆(大豆),向こうがソバの畑

足下を見ると,鳥に食べられたアケビが転がっており
頭上を見上げると
まだ熟していないアケビ

帰りにスーパーで捜すと,1コ・298円で売っておりました

そして

彼岸花

またの名を
曼珠沙華

蕾ってこんな何ですねえ

体験水田では

刈り取った稲が天日干ししてあります

屋根に降った雨を瓶に集めるように工夫しています


なかなか良く出来た施設でした

夷隅郡の夷隅町・岬町・大原町にまたがる地域に作られていると云うことは
3町の予算で運営されているんでしょうね
うん,賢い

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最終更新日 : 2003.09.28

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