2017/06/26
〜書きたいことが山ほどあるんだろうね〜

「文庫解説ワンダーランド」
〜斎藤美奈子〜

『文庫解説ワンダーランド』:斎藤美奈子(さいとう みなこ):2017年1月20日:\840:岩波書店:県立C高校図書館
 ジュニア新書でなくて新赤版
〜Tあの名作に、この解説「坊ちゃん」(夏目漱石):敗者の文学(江藤淳・平岡敏夫)赤シャツに理あり(ねじめ正一)「伊豆の踊子」「雪国」(川端康成):処女の主題?(三島由紀夫)人生初期のこの世との和解?(竹西寛子)伊藤整の解説はタルい「走れメロス」(太宰治)太宰の徹底紹介(師匠筋の井伏鱒二)云ってみれば一億人の弟(斎藤)「放浪記」(林芙美子)の解説が迷走するのは、雑記帳の抜き書きが三度にわたって行われたからで、林も改稿に改稿を重ねている「智恵子抄」(高村光太郎):愛の詩集(光太郎死後の編者で光太郎に頭の上がらない草野心平)贖罪のうた(駒沢喜美)U異文化よ、こんにちは「悲しみよ、こんにちは」(サガン)<パリの自宅に19歳のサガンを訪問>(訳者で34歳の朝吹登水子)「ティファニーで朝食を」(カポーティ)<ティファニーで食堂があるか質問>(訳者でNY在住の龍口直太郎)「ロング・グッドバイ」(チャンドラー)「グレート・ギャツビー」(フィッツジェラルド):男同士の恋愛小説(村上春樹)「ハムレット」(シェークスピア)テキストは錯綜、上演中に脚本の手直しもされただろうから・昔はサムライ今はサラリーマン(斎藤)「小公女」(バーネット)時代に地位を奪われても優しく下々に接するプリンセス(訳者の脇明子)フランセス・エリザ・ホジソンは二度結婚している(野上彰のあとがき)「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」(伊丹十三)1ポンド1008円という1965年の高校生にとって一大衝撃(関川夏央)「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)著書との交流をだらだらと書く翻訳家の竹内健「武士道」(新渡戸稲造)「葉隠」(山本常朝)日本人の心をもっともっと知って貰いたい(共通の感想だが、著者も盛ってるんじゃない?)Vなんとなく知識人「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫)「なんとなく、クリスタル」(田中康夫)太陽の季節を含めて事件的作品:知性のための戦い(政治学者の苅部直)()批判精神のあらわれ(文藝賞の選評で江藤淳)資本論!空疎さの批判(高橋源一郎)インテリの悩み(斎藤)「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎):思わず唸った。これはまさしく資本論入門ではないか(はったりと脱線の丸山眞男)「資本論」(マルクス)種の起源の解題(向坂逸郎)「されど われらが日々−」(柴田翔)「優しいサヨクのための嬉遊曲」共に(1955・共産党第6回全国協議会・山村工作隊の解体)解説無しには理解不能「モオツァルト・無情という事」(小林秀雄)江藤淳がすべて解説し小林の内面に寄り添おうとして内面の背後にある伝記的事実は伏せる・私小説を書くように評論を書いていた(斎藤)「Xへの手紙」(小林秀雄)「共同幻想論」(吉本隆明)評論の解説は屋上屋を架す作業(斎藤)「三四郎」(夏目漱石)これは日本の青春小説のプロトタイプ(斎藤)「友情」(武者小路実篤)三四郎の白樺派版(斎藤)W教えて、現代文学:文庫解説の出番だぁ(斎藤)「限りなく透明に近いブルー」「半島を出よ」「コインロッカー・べービーズ」「半島を出よ」(村上龍):風俗的な騒々しさと奇妙な静けさ・自閉と破壊(三浦雅士)「点と線」「ゼロの焦点」(松本清張)トリックのキズをクサす解説刑事(デカ)の登場(斎藤)「三毛猫ホームズ」(赤川次郎):意外な犯人……。えへへ。トリックを。……。伏線は……。えへへ。すみません(ミステリーの楽しみ方を初心者に説く辻真先)「ひとひらの雪」(渡辺淳一)どの女もどの女も「もてなす」だけ「ビルマの竪琴」(竹山道雄):アジアへの視点を欠いた戦場小説(中村光夫)「二十四の瞳」(壺井栄):知識人の苦悩(窪川鶴次郎)「夏の花」:生涯をかける文学の主題も限られたものである。深いか浅いか、それのみの問題だ(大江健三郎)「火垂るの墓」(野坂昭如):無残な骨と皮の死に様を悔やむ(尾崎秀樹)「少年H」(妹尾河童)山ほどの解説・立花隆・澤地久枝・椎名誠・・・「永遠の0」(百田尚樹)僕の夢(児玉清)大人のメルヘン(斎藤):::文庫解説は「読者のため」「著者のため」「自分のため」〜
 斎藤さんは1956年新潟生まれの文芸評論家、児童書の編集者を経て、三桁には届かないが、かなりの文庫の解説を書いていて冷や汗もの。(児童)文学に教訓染みた解説はいらない。必要なら自分のための教訓を見つけ出すだろう←そうだよね!だから解説やあとがきを私はろくに読まないのだ。伊丹十三の死についてネットで検索して宮本信子も調べちゃったし、中山千夏が未だ生きていることも確認。関川夏央も。なかなか面白い人物だね、斎藤さん。小林秀雄の女性に対する視線が甘えと侮蔑が混じって感じ悪いって。私、庄司薫は読んだけど、田中康夫は嫌悪感があって読んでない。嬉遊曲って何だ?室内管弦楽だって
 引用:日本文学の伝統だ。そりゃあ愛読もされるわね。(二十四の瞳を知識人の苦悩と捉え)気分を共有することで、庶民の戦争協力責任は免責されるからである。…だんだん、「念仏」になってくるのよね。(少年Hへの違和感から)

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最終更新日 : 2017.06.27

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