2016/07/30
〜これの読み出しはきつい〜

「英国ー家、インドで危機ー髪」
〜マイケル・ブース〜

『英国ー家、インドで危機ー髪』:マイケル・ブース:寺西のぶ子(てらにし)・訳:2016年3月31日:\1800:KADOKAWA:県立M高校図書館
 前作とくらべない方が良いけど、日本を舞台にした前作がなかったら、出版されて読む機会もなかった違いない
〜仕事もうまくいかず、悶々としている僕マイケルに妻りスンはインドでスピリチュアルな体験をレようという。半年かけて準備をして降り立ったデリーはヴィクトリア朝時代のロンドンのスラムだった。路地を進み、マトンブラ、ダールマッカーニ、シールマール、コルマカレーを詰め込んだ。チャートは塩味、甘味、酸味が次々抻し寄せ、パリパリとぬるぬるを同時に味わう気持ちの悪さだつた。五億人の胃袋を満たすアザトプルの十ー階建ての冷蔵倉庫で働くネパール人を見て屋台料理を味わう。パンジャーブ州アムリトサルでシク教の聖地に行きエミルを筆頭にターバンを買って着けた。印バ国境で両国兵士の威嚇し合う行進を見物しながら我慢ごきなくなったエミルが観覧席から放尿してインド国旗を汚がしたが、お咎めなし。アーグラに飛びタージマハールを眺め、ヴィノド・クマルというバラモンがドライバーでランタンボールでトラは見られず、ピンクシティーにも立ち寄リ、提灯記事を書く見返りにジョードプルにある宮殿ホテル、ウメイド・バワン・パレスに無料宿泊してもてなしを受ける。ジョードプルから砂漠へ向かう途中・ー家四人が強裂な腹痛に襲われた。ウダイプル行きの飛行機に乗る前にヴィ丿ドと涙の別れをし、体調の戻らぬ3人を残して湖畔のレストラン・アンブライで食べたラバブダールで汗だ<の僕は従業員の注目の的だった。ラーナクプルのジャイナ教寺院もー人で行くことになった。1800万人がくらすムンバイで15分だけのスラム探険で迷い、表通いに案内して<れた女性に5OOルピーの謝礼を払ったリ、旅の途牛で知リ合った中流家庭のパーティーにも行った。マラリアが恐ろレいデカン高原を飛び越えたケララ州のオープン前のリゾートホテルに宿泊し至れリ尽くせリの接侍を受ける。夜行寝台列車でコーチンへ行きシリア正教徒の家,パセンケヤル島のファーム・コテージで過し、インド家庭料理を学ぶ。ハウスボートで宿泊した翌朝、1カ月のヨガと禁酒が堤案され、マドゥライからバンガロールを経由してマイソールに飛んだ。2万ルピー余リを払って半信半疑で始めたヴィネイのシャラで筋肉痛とポーズのとれない屈辱を味わうが、食欲がなくなリ酒に対する興味が消える一方、にきびが顔中を覆い、聞けばデトックス効果じゃないかと云われ、2時間のプラナ・ヴァシヤと2時間のプラーナーヤマを行い、ついにオームの発声もやらせてもらえた。更にマハリシの弟子という人物にTM(超越瞑想)入門を受け、ーカ月のマイソール滞在、三カ月のインド旅行を終えて帰国した。毎朝2,30分のヨガと超絨瞑想が僕を変えてくれている〜
 インド旅行は2009年で、3ケ月にわたる日本旅行の1年半後だった。201б年だと子どもらも大き<なっちゃってて、新たな珍道中は期待できないね。ここまで相手の喋ったことを文字に再現することは可能か?レコーダーを使っていなければ偉大な才能で、アル中でも十分褒められると思うな!奥さんはデンマーク出身で歌手のキャリアも持っている。子連れで3ヶ月海外生活を続ける決意と資カに感心。インドは長居したくなる魅惑的な国らし″のは、多<の若い独身のバックパッカーが書いているけど…マイケルは現代的比喩表現が上手だ…注釈がないと日本人の私には理解できないけど…

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最終更新日 : 2016.08.02

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