2016/07/19
パソコンで再現すると・ちょっと変〜

「ツバキ文具店」
〜小川糸〜

『ツバキ文具店』:小川糸(おがわ いと):2016年4月20日:\1400:幻冬舎:県立M高校図書館
 鎌倉の代書屋
〜鎌倉で右筆の家に養女になった祖母に育てられた鳩子は、高校時代グレて、美術系の専門学校を出て、世界を放浪している内に祖母が亡くなり、仙台の双子の妹が店番をしていて亡くなって戻ってきた。オーソドックスな文房具を売り、代書の仕事をしている〜
 お悔やみ状「権之助様のとつぜんのご訃報にただ茫然と空を見上げてしまいました 本当に悲しいですね ご病気で療養中とはうかがっておりましたが まさかこんない早く旅立ってしまわれるとは 信じたくない気持ちでいっぱいです 思えば権之助様はいつも美しい瞳と静かな心で 私に対しても優しく接してくださいました 権之助様のご冥福を心よりお祈り申し上げます お悲しみは決してつきないでしょうが どうかお心を強く持ってくださいね すぐにお伺いしたいところですが あいにく足の調子が悪いので まずはささやかながら 香料を同封させていただきます どうかご霊前にお供えくださいませ 略儀ながら書中をもちまして取急ぎのお悔やみとさせていただきます」離婚の挨拶状「お世話になった皆さまへ 鎌倉の夏の緑が、ひときわ元気よく輝く季節となりました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか? 鶴岡八幡宮で式を挙げてから、十五年が経ちました。思えば、あっという間でした。あの日、桜吹雪の舞う厳かな雰囲気のなか、皆さまの前で夫婦になれたことは、本当に幸運な出来事だったと思っております。平日はお互い仕事に勤しみ、その分週末は、海へ行ったり野山をハイキングしたりと、ありきたりですが、夫婦の時間を重ね、日常の平凡な幸せを味わいました。そんな日々を重ね、お互いに理解と愛情を深めてきたつもりです。子宝に恵まれませんでしたが、その分、愛犬ハンナとの出会いがあり、夫婦でわが子のようにかわいがっておりました。今となっては、ハンナを連れて沖縄に旅行したことが、私ども家族の、かけがえのない思い出です。さて、今回は皆さまに残念な報告をしなければなりません。七月末をもちまして、私どもは夫婦関係を解消し、離婚するに至りました。なんとかこのままふたりで一緒にいられる方法はないものか、お互いに時間をかけて話し合いました。時には、親しい友人らに頼んで間に入ってもらい、幸福な結末が訪れるよう、最善の道を模索したつもりです。けれど、もう一度新しい伴侶と供に人生を悔いることなく自分らしく生きていきたいと願う妻の意志に揺らぎはなく、結果として、これからは別々の道を歩むという結論に至った次第です。お互い、手に手を取り合って添い遂げるという願いは叶えられなくなってしまいましたが、これからは、お互いの第二の人生を、一歩引いたところから応援しようということになりました。ですので、これはふたりがより幸せな人生を送るための、勇気ある決断だと思っていただけますと幸いです。私ども夫婦を温かく見守ってくださっていた皆さまには、期待を裏切る結果となり、心苦しく感じております。これまで、たくさんの優しさと愛情をかけてくださり、本当にありがとうございました。皆さまとのご縁に、どれだけ励まされ、癒やされたことでしょう。別々の道を歩む結果にはなってしまいましたが、皆さまとは、これからも、それぞれのご縁を繋いで行きたいと思うのが、共通した願いでもあります。いつままた、笑顔で今日という日を語り合えますよう。これまでの、感謝の気持ちを込めて。」昔の恋人に近況を伝える「毎日、笑っていますか? きっとあなたのことだから、時々は楽しそうに歌をうたっていることでしょう 僕は元気です 最近は毎週末、小学生になるお転婆娘を連れて、山登りにはげんでいますよ あなたとも、たくさん山を登りましたね 一緒に月山に登った時は、すごい悪天候で、命がけでした 今となっては、すべてがいい思い出です あなたが幸せでいてくれたら、こんなにうれしいことはありません 僕も幸せに暮らしています 体にだけは、気をつけてください 遠くの空から、あなたの幸せを願っております 草々」しゃっきの断り状「御手紙拝読 我が方も金欠により、金を貸すことは一切できん 悪いことは言わない、他を当たってくれ だだし、金は貸せんが、飯は食わせる 腹が減ってどうにもならなくなったら、鎌倉に来い お前さんの好物を、鱈腹食わせてやろう これからは寒くなるから、体に気をつけろ 健闘を祈る 呵々」義母の還暦祝いカード「お誕生日.おめでとうございます。還暦のお祝いに、六十本の真っ赤なバラの花を贈らせていただきますね。おとうさまとの仲の良いお姿が、私たち夫婦の理想です。いつまでも、お元気でいて下さい。花蓮より」天国の夫から施設の妻へ「あいするチーちゃんへ ばくは今、とてもうつくしい景色を見て居ます。そこからは、チーちゃんのことがよく見えます。もう、ぼくはタマノリ人生を卒ぎょうしました。だから、こんど会ったときは、まいにち手をつないで、好きなだけ散策しませんか。ヱガオのチーちゃんが好きです。また会う日まで、どうぞ元氣で居て下さい。世界でイチバン、チーちゃんを愛しているボクより」鏡文字で書いた絶縁状「今まで、たくさんの楽しい時間を、どうもありがとう あなたに出会えて、幸せでした 心の底から、感謝しています けれど、もうお互いに嘘をつくのは、やめにしませんか? 私は、あなたとの素敵な時間を、素敵な時間のまま、この胸にとどめておきたいのです これは、私からの絶縁状です もう、会うことはありません 理由は、おわかりですね あなた自身の正直な声に耳をかたむけてください あなたのことが、好きでした 今も好きです でも、嫌いです 私はあなたが大嫌いです もう後戻りは、できません 正直に生きるって、本当にむずかしいことです 時には、嘘をつかなくてはいけないこともあります でも、自分にうそをついてほしくありません あなたには、正直に生きてほしい 最後にもう一度、あなたに感謝の気持ちを伝えます」幼馴染みのお茶の先生への絶縁状「今朝沈丁花の甘い香りで目が覚めました もうすぐ春爛漫となりますね お茶のお稽古をはじめてから早いモノで十年以上になります 最初は右も左もわからずお茶をいただくのにも苦労しました 長時間の正座に足がしびれ立ち上がれなくなってしまったことも一度や二度ではありません そんな若輩者の私を絶えず温かく見守ってくださった先生のお優しさにどれだけ救われたことでしょう 嬉しい時も辛い時もお茶のお稽古に通い先生とお会いすることでふわりと心がほぐれ帰り道には空を見上げて笑うことができました お茶の世界に出会えたことが人生最大の収穫と思っております 時には先生からのきびしいお言葉も愛情と信じて励んできました ですがこれ以上お稽古に通うことは難しくなってしまったのです 本来ですとお目にかかってご挨拶しなければならないのですがあいにく体調を崩してしまい伺うことがかないません 大事なことをこのような形でお伝えすることになってしまったご無礼をどうかお許しくださいませ 先日お送りいただいた松阪牛のお肉は家族三人すき焼きにしていただきました さすがA5ランクのお肉ですね 食べ盛りの息子にとっては人生初の味わいだったようです たくさんのお心遣い本当にありがとうございました ただお恥ずかしいのですが夫はサラリーマン 私は専業主婦 息子は食べ盛りの小学生です あのような贅沢なお品を次々にちょうだいしてもなにひとつ先生にお返しすることができず心苦しい限りなのです 毎週のように通っていたお茶の稽古にうかがえなくなるのは淋しいことですが お稽古で教えていただいた学びを今後より広い世界で実践していこうと思っております どうかくれぐれもお体にはお気をつけてお過ごしください 先生がいつまでもお元気でそして幸せでありますように」祖母への手紙「おばあしゃんへ 結局、一度たりともあなたをそう呼ぶことはできませんでした。でも、心の中では、たまにそんなふうに親しみを込めて呼びかけたこともあります。毎年春になると、段葛を八幡様に向かって歩きながら、お花見をしましたね。あなたはい、いつも私のことなど振り向きもせず、一心に桜の花を見上げていました。あの時、何を考えていたのですか? 半歩先を歩くあなたの手に、そっと触れることはできませんでした。でも、それはあなたも一緒だったのですね。イタリアの静子さんに、あなたはたくさんの手紙を書いて送っていた。その中には、私のことが赤裸々に綴られていました。そこには、私の知らないあなたがいた。あなたは、いつもいつも、私のことを気にかけていてくれていました。悩んだり、傷ついたり、悲しんだり。そんなこと、あなたはしない人だと思っていたのに……、でも、そうじゃなかった。あなたはいつも悩んで、傷ついて、悲しんでいた。先代というお面の下には、私と似た、人生に悪戦苦闘する、ひとりの頼りない女性がいたということを、未熟な私は想像すらしませんでした。最近、あなたが昔よく作ってくれた、キャラメルの味を思い出します。ストーブの上に練乳を缶ごとのせて作ってくれた、例のあれです。覚えていますか? 私は正直忘れていました。でも、ひょんなきっけかけで思い出したのです。以来、キャラメルは、すっと私の口の中にあって、時々落ち込んだ時などに、甘い味で私を励ましてくれるのです。あなたは、病院に入院してからも、ずっと私が来るのを待っていたのですね。私はてっきり、あなたはもう二度と私の顔など見たくないのだと思っていました。あなたが動かなくなったのも、冬の日でした。スシ子おばさんから連絡をもらった私は、すぐに鎌倉の駅まで駆けつけました。けれど急に怖くなってしまい、そこから先へは一歩も進めなくなってしまったのです。言い訳に過ぎないのは、わかっています。でも、あなたがいない世界など、信じられなかった。あなたが死んでしまうなんて、認めたくなかったのです。でも、そのことを今は悔やんでいます。あなたの骨を、私のこの手で拾ってあげればよかった。きちんと会ってお別れしていれば、こんな宙ぶらりんな気持ちにはなっていなかったかもしれません。ごめんなさい。そのことだけを伝えたくて、今、手紙を書いています。もうすぐ、鎌倉は紫陽花の季節を迎えます。でも紫陽花は、花(正確にはガクですが)だけが美しいのではないと知りました。お隣に住むバーバラ婦人が、教えてくれのです。バーバラ婦人は、夏になっても紫陽花の花を切らず、そのまま冬を越しました。私は、しおれた紫陽花をずっとみすぼらしいものだと思って生きてきました。でも、そうではなかった。その、枯れた姿がまた、清々しく美しいのです。そして花だけでなく、葉っぱも枝も、根も、虫にくわれた跡さえ、すべてが美しいということを知りました。だからきっと、私たちの関係にも、無駄な季節など一切なかったと思うのです。さっき、モリカゲさんから帰り道に交際を申し込まれました。私の文通相手の、お父さんです。もしかすると、私もまた、あなたと同じように、自分が産んでいない子どもを育てるという道を選ぶかもしれません。壽福寺のお庭、きれいでしたよ。ぐずる私をおんぶして、あなたはあのお庭を見せてくれたのですね。あなたの背中の温もりを、久しぶりに思い出して涙が出ました。ありがとう。あの時伝えられなかった言葉を、贈ります。あなたは、常々言っていました。字とは、人生そのものであると。私は、まだこんな字しか書けません。でも、これは紛れもなく私の字です。やっと書けました。天国では、スシ子おばさんと共に、どうか幸せに暮らしてください。鳩子より 雨宮かし子様 追伸。私も、あなたと同じ代筆屋になりました。そしてこれからも、代筆屋として生きていきます。」

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最終更新日 : 2016.07.19

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