2016/4
〜4月に読んだ本〜

家康,江戸を建てる ☆☆☆☆ 日本列島人の歴史 ☆☆☆ 歴史の「常識」をよむ ☆☆☆ 座右のゲーテ ☆☆☆
始末 ☆☆ 割り箸はもったいない? ☆☆☆☆ ずるい!? ☆☆ 三銃士(上) ☆☆☆☆

冊数が多いのは真面目に仕事をしていない証拠

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16/04/30
『三銃士(上)』:デュマ:生島遼一(いくしま りょういち):2008年4月24日:\900:岩波書店:青葉3食堂
★★★★
 チャーンス!
〜ガスコーニュから出てきた貧乏貴族の倅・ダルタニャンはルイ13世の下の銃士隊に入って出世の糸口を掴もうとするが,アトス・アラミス・ポルトスと知り合う。リシュリューは王と王妃を離反させようと謀り,銃士隊はそれに敵対している。王妃がバッキンガム公に与えたダイヤ付きの飾緒を取り戻そうとロンドンに走る〜
 最近ではマスケティアーズ・ちょっと前は三谷幸喜の人形劇・古くはTBSのラジオドラマ

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16/04/28
『ずるい!?』:青木高夫(あおき たかお):2009年12月20日:\1000:ディスカヴァー・トゥエンティワン:県立M高校図書館
★★
 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか
〜ルールとプリンシプル,日本人のプリンシプルは外国人には理解されにくい〜
 あまり好きじゃない奴・ホンダ小僧

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16/04/25
『割り箸はもったいない?』:田中淳夫(たなか あつお):2007年5月10日:\680:筑摩書房:県立M高校図書館
★★★★
 副題「食卓からみた森林問題」
〜割り箸が森林を破壊している,マイ箸で世界の森林を守るなどと大上段に振りかざす声は非常に不快である。それは事実なのかどうか十分に確認もせず,自らは森林破壊に手を汚していないのような主張はいただけない。加えて,他人に強制したり無理に勧めないいただきたい〜
 多分,正しいと思う

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16/04/23
『始末』:佐伯泰英(さえき やすひで):2016年3月20日:\600:光文社:茂原市立図書館
★★
 吉原裏同心24。東京との往復で読めた。
〜切店でケチで有名な瓦職人が殺され,女郎が髪を切って男に化け,足抜けした。裏には若い男が絡んでいるが,用意周到な計画だったらしい。女は川越の船大工の娘,男は従弟の作造だと知れた。川越に戻ると踏んだ幹次郎は金次を供に,桑平と川越に乗り込む。作造を見掛けたという証言を得たのは金次で,作造は追っ手の裏を掻く積もりらしい。女郎のおこうは髪を丸めて幽霊寺と言われる駆け込み寺にいた〜
 サイドストーリーとしては番方に女児が生まれ,ひなと名付けたのは幹次郎であること,幹次郎が詠んだ句を丁女が短冊に認めて薄墨太夫に届けたこと,金次が一人前になりつつあること。玉藻のイライラの素であった,妾腹の弟と名乗った慎一郎は嘘を吐いて近づいて,嘘を見破ったのが幹次郎で,一両で証言した産婆を殺して高飛びしようと言う前に,斬り殺したこと。殺しを正当化するために,船頭は人質にされた。薄墨太夫との関係は接近しない

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16/04/21
『座右のゲーテ』:齋藤孝(さいとう たかし):2004年5月20日:\ 700:光文社:県立M高校図書館
★★★
 副題「壁に突き当たったときに開く本」
〜小さな対象だけを扱う・自分を限定する・実際に応用したものしか残らない・日付を書いておく・完成まで胸にしまっておく・実際的に考える・最高を知る・独創性などない・独学は非難すべきもの・「素材探し」を習慣化する・使い尽くせない資本をつくる・愛するものからだけ学ぶ・豊かなものとの距離・同時代,同業の人から学ぶ必要はない・性に合わない人とも付き合う・読書は新しい知人を得るのに等しい・癖を尊重せよ・先立つものは金・儀式の効用・当たったら続ける・他人の評価を気にしない・異質なものを呑み込む・邪魔の効用・現在というものに一切を賭ける・計り知れないものが面白い・感情を生き生きと羽ばたかせよ・詩的に考える・過去に執着しない・青春のあやまちを老年に持ち込むな・年を取ったら,より多くのことをする〜
 エッカーマンが晩年のゲーテに接した9年間のメモをもとに,ゲーテとの会話を書き綴った『ゲーテとの対話』が,ネタ本。齋藤さんは1960年生まれで,テレビで善い人に映っている。本を書くとベストセラー。テレビに出て本書いて儲かるなぁー

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16/04/18
『歴史の「常識」をよむ』:歴史科学協議会・編:2015年3月30日:\2800:東京大学出版局:県立M高校図書館
★★★
 辛かった〜
〜・時代区分論1(日本の封建制成立は?)・時代区分論2(いつから近代・いつから現代)・T伝統的農村風景を疑う(桃太郎に出てくる柴狩りは元は草刈で刈った草を肥料にしていたのであり,山は丸裸になり木材輸出のために杉を植林したのであって,日本が昔から自然と共存していたというのは幻想)・旧石器時代を考える(捏造でめちゃめちゃ,でも落とし穴の化石があるんだよ)・農耕文化の複合体(農耕の最初は弥生時代じゃなくて縄文早期の麻・ エゴマ)・聖徳太子という虚像(中大兄は蘇我王権の改革の最終段階で等の高句麗攻撃から始まる東アジアの激動に乗じて権力を奪い,藤原不比等に実権はあったが,幼帝と女帝では創作された)・遣唐使の政治性(遣唐使の派遣目的は文化交流だけではなかった)・大化の改新の意義(律令制国家成立と別の文脈で考える)・律令制をアジアの中で考える・道鏡が目指したもの(実証が難しい権力欲)・性差を超えた女帝論(六人八代で繋ぎの意味)・悪女(ぼさぼさ伸び放題の髪・赤ら顔・才槌頭・目立つ喉仏・麦歯・雄々しい声・高い鼻・濁って明瞭でない目・口やあごの細い毛・筋くれだった骨・黄ばんだ髪・肉付きの悪い体・太く強い陰毛・逆さに生えた多量の陰毛・このような女性と性交すると男は皆身体をこわしてしまう)・U開発領主の出自(まあそういう人もいただろうけど,一族で開発したのだ)・武士の実像(中世武士像は多様である)・寄進地系荘園論(荘園と武士を関連づけなくても良い)・平家の政権・源平合戦観の克服(結果として源頼朝が勝ち残った)・偽文書・肖像画(神護寺に残された足利義満像や源頼朝像は多分別人物だが,神護寺再興を有利に進めるためだったが,らしさという厚いマントを纏っている)・都市鎌倉(中世武家都市の典型例)・元寇の神風・中世の貨幣(市場の自立的力が貨幣を維持した)・木綿(古代中世では麻・苧麻が利用され,火縄にするために木綿が栽培されたのは戦国期)・戦国仏教(鎌倉仏教から顕密仏教へ)・ 戦国百姓たちの戦場(戦国の戦争には季節があり農閑期の仕事で落ち武者狩りも当然)・アイヌ文化(アイヌ語族の歴史から考える)・琉球王国(琉球は東アジアにおいていかなる位置にあったか)・V織田信長とキリシタン(保護政策は存在しない)・李舜臣と亀船・江戸幕府と藩(将軍への結集と共存する大名の自立)・近世の名君像(仁政)・近世の領主と領民・天草四郎(抵抗のシンボルは大量の犠牲者も生んだ)・近世の身分(身上がりは憧憬)・近世百姓の日常生活(慶安触書は百姓身持之覚書が1830年に岩村藩で配布され,慶安二年二月二十六日と版木に刻まれた)・村の鉄砲(江戸時代の村に武器があった)・出版文化・江戸文化の浮世絵(菱川師宣が挿絵を独立させ絵暦から錦絵に発展,美人画はいうなれば週刊誌のグラビアだった)・村の紛争解決(吟味筋と出入筋・内済と済口証文)・近世の民衆運動(百姓一揆1430件の内,武器携帯使用の記録があるのは14件で19世紀に集中)・江戸幕府の宗教統制(一家の中でも宗旨が異なるなど宗教活動は多様)・W産業革命(通商条約でも外国人の国内通商を認めなかったから)・日清戦争(中枢は国際法を守らせようとしたが実際には帝国主義下の戦争)・中国人留学生(日本料理が口に合わなくて)・韓国の「親日派」(いまだに行き辛い)・東京の生い立ち(三重行政を解消しようとして今の形になったのだから,二重行政解消のためでなく,大阪や名古屋の主張は通らない)・近代の女性・近代日本の米食(都市では白米オンリー・地方では麦飯)・近代日本の貿易(総合商社史研究の到達点…三菱商事はどうやって三井物産の牙城に食い込んだか!)・戦時下の民衆生活(なぜ戦争に協力したのか・社会的格差が縮まったからかも)・十五年戦争時の中国共産党(日本と闘ったのは国共合作の時だけ)・エネルギー革命(公害問題と品質管理の限界が来ていた)〜
 所詮私に歴史は理解できない…特に国史。日本史の授業・講義のつかみに使ってね!っていうことらしい

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16/04/14
『日本列島人の歴史』:斎藤成也(さいとう なるや):2015年8月28日:\840:岩波書店:県立M高校図書館
★★★
 どういうアプローチかと思ったら,DNA解析だった…まだ進化途中だね
〜(難しいから書きたくないんだけど)ヤポネシア時代→ハカタ時代→ヤマト時代→平安京時代→江戸東京時代とするのが良いのじゃないか。ヤマト人より,アイヌ人と琉球人は近い。1:4万年〜4千年前(ヤポネシアの大半)ユーラシアの多地域から南部・中央部・北部の全体にやってきた。2:4千年〜3前年前(ヤポネシア末期)中央部に朝鮮半島・遼東半島・山東半島に囲まれた沿岸部から渡来し,1の子孫と混血し人口を増やす。3前:3千年〜千5百年(ハカタ・ヤマト前半)朝鮮半島から日本列島東西軸に沿って水田稲作の技術を導入し,人口を増やし,ヤマト時代には中国からも流入。3後:千5百〜現在(ヤマト時代後半以降)朝鮮半島を中心に渡来し,1の渡来人は6世紀後半から北海道に,空白を埋めるように2が東北に,南部には2の渡来人が移住し,江戸東京時代に3の渡来民も加わり現在のオキナワ人が形成され,ヤマト後半から平安京時代にオホーツク人と1の子孫の間でアイヌ人が形成される〜
 いやいや,難しい。新しい学問だね

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16/04/11
『家康,江戸を建てる』:門井慶喜(かどい よしのぶ):2016年2月20日:\1800:詳伝社:茂原市立図書館
★★★★
 新聞で広告を読んで…すぐ買ってくれた
〜秀吉から関東八州を貰った家康は利根川の河口が湿地となるのを見て,川筋を東に曲げる作事を伊奈忠次に命じた。渡良瀬川に繋げて元の川は隅田川となったが,期待の長男・熊蔵は大坂攻めで気を悪くして早死にし,次男が忠治として完成させた。赤堀川へと繋げて鹿島灘へ河口を向けるのは忠克の時代だった。後藤長乗の従者として江戸に下った庄三郎は長乗が寒さを嫌って江戸を去った後,本領を発揮して京で造られている大判をそっくり真似て作り上げたが,家康が命じたのは小判の製造。後藤家が家康の元地元・駿府で造った小判を見た庄三郎は,品位の高い小判を造るに当たっては後藤の名が欲しいと家康に申し入れ,京へ上って養子にしてもらうべく参るが,無理難題を押し付けられ,貰った地位は猶子だった。それが逆転したのは,関ヶ原。戦勝を知った庄三郎は,京の三条大橋に高札を建て,後藤家の本筋は庄三郎の方に移り,小判は徐々に浸透していった。飲み水を引くのは菓子司の大久保藤五郎に命じられ,13年後に鷹狩りに出かけた森で七井の池を見つけ,在の内田六次郎という百姓が普請役に任じられた。野方堀で進められ,外濠と交わるところは水道橋が架けられた。町中は暗渠とされ徳川上級家臣の若党・春日与右衛門が補佐と云うより,実際を担っていた。目白の堰を切ると水圧のせいであちこちで大噴出したが,十余年の歳月が流れ,洗堰の工夫で改良した。大久保長安に召し出された伊豆の石切吾平は石の節理を読める見えすきの才能を持っていた。江戸に城を構える石垣の石材を切り出す仕事が与えられたが,大仕事がしたいと,西伊豆に向かい,山頂の巨石を切り出したが資金が底を突き,伊達藩に委ねて江戸に出た。江戸には石積みの喜三太がいて,浅野家から伊達家に鞍替えし,大手門周辺を担当しながら,北詰の山内家の普請場まで面倒を見ている。吾平が切り出した巨石は用いられず,隅石に用いたらと云う提案も斥けられた。喜三太が伊達家に掛け合って江戸に運び込まれたが,用途は大手門の鏡石,しかも巨石は二つに割られていた。家康が天守に固執するのを秀忠は冷静に見ていたが,天守建築は始められ,漆喰で塗ることが決まった。漆喰は青梅で見つかったが,何故白い天守なのか,秀忠は納得いかない。平和の色であると共に,江戸に幕府を開くための犠牲になった死者の色でもあったのだ〜
 まぁ,面白くてすらすら読めるんだけど,連作以外に方法はなかったのだろう。でも,もうすこし工夫することもできたと思うのが残念

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16/04/
 
★★
 
〜〜
 

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最終更新日 : 2016.05.08

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