2013/05/28
女挽き子の物語〜

「俥屋」
〜鳥羽亮〜

『俥宿』:出久根達郎(でくね たつろう):2004年12月15日:\533:講談社:茂原市立図書館
 途中から急ピッチ
〜明治22年2月11日,憲法発布の大赦で出獄する相川の跡取り・鎌三郎の出迎えを任されたのは,加賀夢尾という車挽きを目指す若い女だ。市ヶ谷の監獄分署から出てくるのは坊主で髭だらけの男ばかりなので,目印は母親が差し入れた黄色い布がついた草鞋だ。若い男が近づいて乗り込み,吉原へ向かうと言われるが,これが鎌三郎なのか確信が持てない。夢尾が新三郎の娘だと聞いても反応がなかったからだ。せつから預けられた金を渡すと,同僚の車夫が寄ってきて,それはニセモノだと言うので,待ち伏せすると,案の定暫くして出てきて,追い掛けようとする男の前に現れて止めたのは,正真正銘の鎌三郎。若い男は掏摸だという。日本橋の俥宿相川は大手で,60人ほどの挽き子がいる。言い掛かりをふっかけられることも多く,夢尾の父は剣の達人で用心棒だが,肺病で体力を落としている。雪尾も幼い頃から剣術の稽古を続けている。恩返しの為に車の挽き子を志した。最近では載せた女が強盗に早変わりして車夫が襲われる事件や,店前に汲み上げた肥樽ひっくり返される事件が続いている。鎌三郎は同じ大手の大関屋の車夫・鏡次を訪ねて様子を聞くが,娘は夢尾に敵意を見せながら,とろろを振る舞う。鏡次は鎌三郎と共に車会党を作り,とろろ芋で演説を止めさせようという警官を叩こうとして,棍棒で殴りかかったと難癖をつけられたが,国風大盤という政治家の愛人を知っている。掏摸の小男を使って国風の名刺入れを抜き取らせると,女名の名刺が出てくるが置屋の名は書かれていない。大関屋の主人・黒板の名刺もある。嫌がらせは大関屋の仕業かも知れない。相川の入り婿の二人乗りの人力車も狙っているという噂だ。父と小川町の工房近くの借家をせつに用意されたが,鎌三郎が繋ぎ場としても使っている。風邪で寝込んで暫く振りに相川に挨拶に行くと,銀郎という行李に女物の着物を忍ばせた車夫が新顔で居て,人手不足で雇ったが,せつは怪しいと踏んでいた。間もなく辞めた銀郎が大関屋の車に乗っているのを夢尾は尾行するが,尾行はすぐにばれ,古着を扱う大川河口近くの蔵屋敷に連れ込まれた。蔵の持ち主の若旦那と銀郎と大関屋の車夫・松吉は女装を趣味とする仲間だった。銀郎も車夫を襲う事件を調べていて,鎌三郎と連携をとりたがっている。鏡次の娘・半は刺されて働けなくなった父に代わり,大関屋の造った骨董屋で住み込み女中として働き始めたが,そこに銀郎が出入りしている。夢尾は一人で帰る途中に病人を載せて襲われ,相川の主人も工房で襲われるばかりでなく,鎌三郎も帰り道で暴漢に襲われる。大磯という陸軍に食い込む政商が浮かび上がってきた。相川の主人の見舞いに来た大関屋の黒板も見舞いから帰ろうという時に襲われ,渋った末に巾着の中の写真を狙われたのだと告白する。殺されるかも知れないと思うのは,元総理大臣で実力者が女装している写真に大磯の嫁と共に写っている写真のせいだ。大磯と嫁は息子により殺されたと号外が告げる中,隠れていても仕方ないという鎌三郎・銀郎・半・鏡次は,鹿鳴館で仮装舞踏会が開かれているのを揶揄するため,女装した男達を車に乗せて,鹿鳴館前で馬鹿騒ぎをやると決意する〜
 初めちょろちょろ,中パッパ。最後の花火は,回想で語る方が良いのだろうか。鹿鳴館襲撃の真相が分からないから,ぼやかしている様な気がする

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最終更新日 : 2013.05.29

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