2012/12/14
保元の乱〜

「宿神3」
〜夢枕獏〜

『宿神3』:夢枕獏(ゆめまくら ばく):2012年11月30日:\1900:朝日新聞出版:東部台文化会館
 この巻は保元の乱が中心
〜待賢門院璋子が崩御し力の抜けた西行は奥州へ旅立つ。供は西住と申,まずは那須に赴いて鰍に合うためであったが,着いてみると預かった卯跳丸から那須資隆の屋敷へ移り,かつて丹波の青犬と名乗っていた浄尊という坊主によって山狩りが行われていた。救出はできず,浄尊は立ち会って倒すことができたが,資隆の息子の与一と名を付けて京へ帰った。帰ると平清盛は祇園社を汚して謹慎しており,忠盛の後継には異母弟の家盛が浮上したが,家盛が熊野で急死し,西行は高野へと移る。落雷で大塔が焼けて再建の責任は清盛に託された。京では,摂関家・藤原忠実と関白・忠通が対立し,弟・頼長が家長となって左大臣となったが,清盛は味方するなら忠通だという。高野の西行の所には源為義の八郎・為朝が鎮西に遣られるため別れを告げにやってきた。俗名・藤原通憲・信西が崇徳上皇に接近し,近衛天皇が17歳で崩御すると,後白河天皇が即位し,息子の葬儀に父である上皇は参列を断れる。上皇に謀反の疑い有りと噂が広がり,天皇派には信西・藤原忠通・源義朝・平清盛,上皇派に藤原忠実・頼長・源為義・為朝が付いた。夜討ちかけるべしとの為朝の進言は斥けられ,義朝の夜討ちで上皇派は追い込まれる。頼長は流れ矢で死に,為義は息子・義朝に斬られ,上皇は讃岐に流され,為朝は両足の腱を斬られ,両手の筋を抜かれて伊豆大島に流刑となった〜
 宿神と関係ありそうなのは,鰍の弔いを叡山でやる件だけ。保元の乱が中心の話題

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最終更新日 : 2012.12.14

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